僕のヒーローアカデミア
子供に「僕のヒーローアカデミア」を見ろと言われ、ここ最近、少しずつ見ている。最初、ちょっと絵が苦手な感じがして見ていられないんじゃないかと思ったけど、なかなかどうして、けっこうハマって見ている。
「個性」と言われる力を多くの人が発現する超人社会が舞台になっており、その力を使って犯罪と戦ったり救助を行う「ヒーロー」と呼ばれる職業が定着しているのが、このアニメの世界だ。主人公は、その力を発現しなかった「無個性」から最高のヒーローを目指して成長していくという物語だ。そして、そのヒーローを養成している学校に主人公は入学を果たす。年齢的にはこの学校は今の高校生に相当している。
今さら書くまでもないが、昔の漫画やアニメでは善玉悪玉がはっきりしていた。しかし最近のアニメでは善玉悪玉の境界がとてもあいまいだったり、そもそも無かったりする。それぞれのアニメの中では一見悪そうに見えるキャラクターにも一定の正しさがあることが描かれている。子供たちの話を聞いていると、登場するキャラクターの「推し」も人それぞれだ。僕が子供の頃に見ていたアニメでは、いわゆる「推し」は特定のキャラクターに集中していたが、現代のアニメでは、それが広範囲に広がるのだ。
僕らの世代は善悪二元論の漫画やアニメを見て育っているのに対し、今の子供たちは多様性や様々な価値観が織り込まれたアニメを見て育っている。つまり最初から多様性や様々な価値観があることが当たり前のものとして育っている。これは宗教や文化の違いによる価値観の違いを話した時の反応をみるとよく分かる。僕ら世代の大人は、その価値観の違いを「へぇ~!」と驚きをもって受け取るのに対し、今の子供らは「そうなんですね」と違いを冷静に当たり前のこととして受け止める傾向があるように感じる。
学校に勤めて感じたこととして、大人はその多様性や様々な価値観があることを声高に叫び、それを教育方針としてのたまう。しかし残念ながら、それを言う大人より子供たちの方が、それが感覚によく落とし込まれている。大人はそれを叫びながら実際にやることは、自分たちの価値観の押しつけをやってしまう。僕も含め昭和世代は善悪二元論で育ってきてしまっているから、頭で理解しても感覚で理解できていない。結局、多様性とか様々な価値観の違いってのは言葉遊びになってしまう傾向が強い。これを子供たちは、肌で感じ取ってしまうから、最終的に学校側や大人への反発や軽蔑へとつがっていってしまう。
かつて大東亜戦争で日本は東アジアや東南アジアへ進出した。日本が行ったのは欧米列強がやったような植民地支配ではない。日本は彼らを同じ日本人として扱い、同化させようとした。これにより、現地の人の価値観は無視され日本の価値観が正しいものとして押しつけられ、反発を招いたのではないかと僕は想像している。学校という中では多様性や様々な価値観を叫びながら、学校運営者側が正しく生徒は未熟なものという発想から、やっていることはひたすら価値観の押し付けであるように僕には感じられた。しかも、その価値観は昭和の価値観であり、自分たちの感覚を振り返ることもない。そして当の本人らは、自分たちは多様性や、様々な価値観をよく理解しいるインテリだと思っているからタチが悪い。
もちろん、そうではない指導者に恵まれた学校や組織もあるだろう。でも、学校に限らず善悪二元論世代が社会のいたるところで要職を占めている以上、こういった事は、あちこちで起こっているのではないだろうか。まさに老害ってやつだ。
「僕のヒーローアカデミア」だが、ここに登場する先生たちが素晴らしい。
ここに登場する先生の多くが生徒と対等の姿勢を持っており、本当に「育てる」ことを行っている。もちろん先生と生徒という立場の違いはあるが、あくまでも生徒と人として対等に接している。今の学校現場では生徒に長時間接して細かな指導をすることや、単純に生徒の話を聞いてやることが生徒と対等であると勘違いしている人が多いのではないかと思う。これはこれで大事なことなのかもしれないが、言ってみれば自己満足の部分が大きい。対等というのはあくまでも心の問題だ。先生と生徒という立場の違いを人としての上下と勘違いしてしまっていることに気付いていない人が多いように思う。この傲慢さを生徒は何かしら感じ取り、心の中では軽蔑が生まれる。
技術的なことや知識的なことは教えることができても、本当に学ぶことは本人にしかできない。本人が学ぶことを介助してやるのが教育という単語の育む部分だと僕は思う。「僕のヒーローアカデミア」に登場する先生たちは、生徒と対等の姿勢で、生徒自身に学ばせるということを強く意識しているように感じられる。そして生徒同士が学び高め合う空気を作り出している。かつての旧制高校などは、こういった学びの土壌があったのではないかと僕は想像したりしている。
まあ「僕のヒーローアカデミア」をこんなふうに理屈っぽく見る人もいないだろうけど、今の子供たちは少なくとも、こういったものを見て育ってきているから、無意識のうちに自分自身の感性の中に、こういった多様性や様々な価値観が存在している事を取り入れていっている。だから我々大人は老害にならないためにも、学び続けなければならない。
もっとも、学ぶことを忘れてしまっていることに気付いていないからこそ、老害になるのだけれど。