家の近くに高遠草(タカトウグサ)が生えているのを見つけた。まだ色合いが新緑って感じで綺麗だったので写真を撮ってみた。それが上の写真だ。
高遠草(タカトウグサ)は長野県の高遠城下で腹痛の薬として伝承されてきたキンポウゲ科の多年草だ。正式名称をアキカラマツと言う。
子供の頃の思い出
個人的には高遠草には信仰に近い思い入れがある。
まだ小学校の低学年の時だったと思うが、ドブ川に落ちた際、その水をガブ飲みしてしまい、とんでもない腹痛に襲われ、下痢と嘔吐のヘビーローテーションに陥ってしまった事があった。
そんな経験はそれまでにも何回かあったが、病院でもらった薬を飲んで少し絶食すれば治っていた。それがこの時ばかりは数日しても全く回復する気配がなく、このまま何も食べる事が出来ずに衰弱して死んでしまうのではないと、僕はぼんやりと思っていた。
そんな様子を見かねたバアちゃんが「病院の薬が効かないみたいだから、ちょっと高遠草を飲んでみろ!」と、煎じたものを湯呑に入れて持ってきた。「うんと苦いけど我慢して飲め!この煎じたやつを丼で2杯も飲んだら赤痢だって治るから、きっと良くなる!」と煎じたものを部屋に置いていった。
しかし、その苦さたるや、当時の僕としては、今までに経験した事のない想像を絶する苦さで、結局、湯呑半分しか飲む事ができなかった。こんなもん丼で2杯って、飲まなかったら死ぬって状況でもない限り、飲めるもんじゃないと、当時思った事を憶えている。
そして、高遠草を飲んだ翌朝、あれだけ病院の薬を飲んでも収まる気配のなかった嘔吐がピタリと収まり、そのまま治ってしまったのだ。
それ以来、「いざという時は高遠草!」という信仰に近い感情を持ち、子供の頃は、毎年、高遠草を採っては干して、いつでも煎じて飲めるようにしていた。もっとも、子供の僕としては飲むのに決意がいるくらいの苦さだったから、結局、その後、高遠草を飲もうと思うほどの腹痛に襲われることはなかったのだけれど。

高遠草を煎じたもの

高遠草を乾燥させたもの
数年前のことだけれど、胃腸の調子悪さが続いた時があり、その時に高遠草を採取してきて干して飲んだことがあった。上の写真はその時のものだ。確かにかなりの苦さだけれど、子供の頃に感じた悶絶するような苦さではなかった。まあ、我慢して飲めるレベルだ。
飲んで1時間ほどで、ずっと動きの悪かった腸が動き出すのが感じられ、お腹の嫌な感じが引いてしまった。やはり、少なくとも僕には高遠草はよく効く。
高遠草
上にも書いたが、高遠草(タカトウグサ)は正式名称アキカラマツというキンポウゲ科の多年草で、長野県の高遠城下で何百年もの間、腹痛の薬として用いられてきたものだ。キンポウゲ科の植物は毒草が多いから、全国的には警戒されて薬草として用いられることはなかったようだ。高遠城下にだけ伝わる秘伝の薬って感じで、なんか萌える。
それが太平洋戦争のおり、国内に薬が不足し、当時の厚生省が国内に埋もれている薬資源の調査に乗り出して、初めて苦味健医薬として、取り上げられたんだそうだ。
今ではネットで検索すると、和漢薬として、けっこういいお値段で販売されたりしているから、薬草として知られ、その地位を確立しているってことだろう。

成熟した高遠草(アキカラマツ)

高遠草(アキカラマツ)の花
知識の一般化を考える
仮に、高遠草が薬草としての地位を確立していない状態で、伝承だけを頼りに、僕が毒草だらけのキンポウゲ科の植物を煎じて飲んだなんて話を書くと、多くの人が「危ないことをする人だな」とか「チャレンジャーだな」といった感想を持つだろう。つまり、国に和漢薬として認められて初めて高遠草は、薬草であるという知識が一般化していると言える。
何百年もの間、高遠草はなぜ薬として高遠城下以外に広まらなかったのだろうか?
僕は様々な人に出会って話をした経験からも思うのだが、社会的にも有用だと思われる知識が、特定の個人や人々だけで共有されるにとどまり、一般化していないものは、案外、多いのではないかと感じている。
知識が一般化されるには、どのような経緯が必要なのだろうか?
知識が一般化されるには、どのような条件が必要なのだろうか?
一般化されていない有用だと思われる知識に出会った時、我々はどう判断し、行動すればよいのだろうか?
そんな事も、shin MICの思考と探求の授業では、様々な事例を取り上げて、考え、ディスカッションを行っていく。
現在、無料体験授業を毎週月曜日の19時から行っているので、是非、気軽に参加していただければと思う。