Windows 98 – Virtual x86 | 自分の能力を発見する事
Windows 98 – Virtual x86 というブラウザ上で懐かしのWindows98を操作できるサイトがあったので触ってみた。
少し触ってみた感じ、一つ一つの動作のロード時間が長いものの、インターネット関係以外はたいてい動く感じだ。
当時、よくお店のパソコンコーナーに並ぶパソコンで、なぜか意味もなく設定したスクリーンセーバーの設定画面もちゃんと出てくるし、ファイルの保存もできるし、アクセサリに入っていたゲームも懐かしの画面で使える。とにかく、画面が懐かしすぎる。
Windows98の個人的な思い出
僕がパソコンを触り始めたのがこのWindows98からだ。
それまで、たまにワープロを使う事もあったけれど、僕はボタンが並んでいるものが苦手で、ワープロ作業も苦痛以外の何物でもなく、どうしても必要に駆られる時に、黄金の一本指打法で打つ程度だった。好きじゃないから、当時、たまたま新品でゲットした書院も人にあげてしまった記憶がある。だからパソコンなんてのは、僕が触るべきものではないくらいに思っていたし、Windows95が発売されて、世間一般にパソコンが普及し始めた時も僕はなんの関心も持つことはなかった。
そんな僕がWindows98から一気にパソコンにはまった。もちろん、それにはキッカケがある。
それは、同じ社内の人がMicrosoft Wordを使っているのを横目で見た時のことだ。文書中に写真を入れて印刷しているのを見て、僕は衝撃を受けた。それまで文書中に写真を入れて印刷するなんてのは印刷専門のお店でなければ出来ないものだと思っていたから、それを個人でも簡単に出来てしまうということに驚き、パソコンってそんな事ができるんだ!と衝撃を受けたのだ。今現在の感覚から言えば笑えてしまうようなことだけど、当時の僕は「スゲー!」と大いに感動したのだ。
感動した僕はWordを皮切りに、にExcel、PowerPoint、Accessと、Microsoft Officeのメインどころを全て触り倒した。とにかく「スゲー!」の連続で楽しかったことを憶えている。Officeがひと段落したところで、次はホームページ関係を触り始め、その流れでPhotoshopやFlashなんかにも手をつけた。そして気づけば、「パソコンの詳しい人」ってやつになっており、フリーランスとして、ホームページ作成や企業でのパソコン研修、パソコン関係のトラブル処理なんかで15年ほど、ご飯を食べることになっていたのだ。
自分の能力を発見する事
僕の場合、上に書いたようにパソコンは苦手なものから得意なものに変わったわけだ。パソコン以外にも、もともと、全く向いてないと思っていた営業系も割といけるほうだったとか、才能なんてカケラも無いと思っていた写真撮影も、案外、そこそこは出来ると分かったとか、過去、そんな自分自身の能力の発見が僕にはいくつもある。
僕は基本的に不器用で、何事においても極めて飲み込みが悪い。これは自分自身のことだからよく分かる。だけど、集団に属すると、そこでは「何でもできる人」という器用な人の位置づけになってしまう。これは、自分の能力を発見し続けて、少しずつ出来る事が増えてきた結果だと思う。
人と会って話をしてみると、大抵の人は僕よりも器用だし、飲み込みも早いと感じる。にも拘わらず出来る事が限定されているケースが多い。これは根本的な能力が高いにもかかわらず、自分自身の能力を発見していないからだと僕は思う。というよりも、感情と思考によって、自分自身の能力を発見しようとしていないと僕には感じられるのだ。
思考と探求の授業では、自分自身の能力を発見するための感情と思考についても、ディスカッションを行っていきたいと考えている。