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Archive: 2021年6月27日

NIVIDA Canvas

NIVIDA Canvas | 近未来を想像する

米NVIDIAが発表したWindows10用アプリの「Canvas」が凄い!
上の動画を見てもらうと分かると通り、ベタ塗りの落書きがAIの処理によって、写真のような高精細な風景画像にリアルタイムで変換されていく。しかも出来上がったものはPhotoshopにレイヤーを保持したまま書き出せるようだから、様々な素材を作り放題って感じだ。もう、ヤバッ!って感じのレベルだ。AIもここまで来たか!とビビった。

しかも、今ならβ版を無料ダウンロードできるようなので、早速、ダウンロードして遊んでみようと思ったが、システム要件のGPUの欄に、GeForce RTX, NVIDIA RTX, Quadro RTX, TITAN RTXと記載があった。残念ながら僕のパソコンは、こんなグラフィックボードは積んでいない。こういうグラフィックボードを積んでるのってゲーム目的のお値段の高いパソコンだ。まさか「Canvas」で遊んでみるだけに、新たにお値段の高いパソコンを買うわけにもいかず、とりあえず断念した。笑

 

 

ベタ塗りの落書きから、これほど高精細な画像をAIが生成することに、現実と仮想世界との境界があやふやになりつつあることを感じてしまう。こういったソフトも、きっと風景だけでなく人物や食品などあらゆるものに広がっていくのだろう。そして、やがては出回ってる写真と思われる画像の半分以上がこうしてAIが作り出した画像なんて状態になるかもしれない。

 

5Gと6G

現在はまだ5Gが普及し始めたところだけど、5Gが普及すると、ありとあらゆるものがインターネットに接続されていくだろう。それによって収集されるデータはさらに膨大になり、AIの進化も、より加速すると考えられるから、さらにAIが社会で果たす役割が増え、仕事にも多くの影響が出てくるのではないかと思われる。そして、既に6Gの研究も始まっている。6Gも20年後といえば世の中に普及している可能性がある。6Gは桁違いの通信速度だから、SFに出てくるようなフォログラムや、視覚や聴覚だけでなく、触覚や匂いなども伝える技術も現実化する可能性だってある。そうなれば、我々は物理的な制約から解き放たれることになる。例えばオフィスに物理的に移動して出勤しなくても、仮想空間のオフィスにフォログラムで出勤すれば済むようになるかもしれない。もちろんAIは格段に進化するから、現在人が行っている仕事の多くをAIが受け持つようになるだろう。つまり生き方や働き方、そして我々の価値観も大きく変わる可能性がある。

ゲームもアニメのソードアート・オンラインに近いものが出てくるかもしれない。

 

 

つまり現実と仮想現実の境界が極めて曖昧になり、現実世界の自分と仮想現実世界の自分と、どちらが自分のアイデンティティーなのか分からないような状態が現実のものとなる可能性が考えられる。それが遠い未来のことではなく、ほんの20年後には、そんな世界に我々は生きている可能性がある。それほど変化スピードが速い時代に我々は生きているのだ。

ほんの10年、20年で、生き方や働き方、価値観が大きく変わってしまう時代に生きているわけだから、我々は現在の常識や考え方に捉われず、物事を深く考える意識や習慣を身に付ける必要があると思うのだ。

Let’s think!

 

思考と判断

Bitcoinと鈴木商店 | 判断の思考部分について考える

皆さんもご存知の通り、5月にビットコインが大暴落した。ビットコインだけではなく、もれなく他の仮想通貨も大暴落したわけだけど。

あっという間に価値が半分になってしまったから、もし最高値の1ビットコイン700万円近辺で買っていたなら、大損害だ。これほどの大暴落だから甚大な損害を被った人も多いかもしれない。ビットコインの爆上げ過程では、メディアでもそれをあちこちで取り上げていた。仮想通貨投資による「億り人」の紹介なんかも、この時期にはよく目にした。

しかし、仮想通貨に限らず株なんかもそうだけど、メディアが爆上げを取り上げだすのは、既に爆上げの終わりの時期から頂点をつける時期がほとんどだ。だからメディアで取り上げられるのを見て「儲かりそう!」と手を出すと痛い目を見るパターンが多いんじゃないかと思う。そして、ひとたび大暴落が起これば「仮想通貨バブルは終わった」とか「大暴落はまだ始まったばかり」といったネガティブな報道のオンパレードになる。まあ、ビットコインに関しては実際に「中国のマイニングの禁止」とかテスラの「テスラ車のビットコインによる購入を認めない」といったネガティブな出来事が続いたのも確かだけど。

そんな中、積極的なビットコイン投資で知られる米ソフトウエア企業のマイクロストラテジーが約540億円分のビットコインを買い増ししたと発表した。平均購入価格は3万7617ドルということらしい。今日現在1ビットコインは3万4000ドル近辺だから評価損が出ていることになる。今後、マイクロストラテジーがどうなるかは分からないが、えてして巨額の利益を上げる人は、こういった総悲観の中で密かに買ったりしていることが多い。

そもそも、現在のビットコインの状況が、そこまで悲観的なものかを冷静に考えてみれば、ビットコインは元々乱高下が激しく、毎年のように50%くらいの大暴落を繰り返している。そしてそのたびに総悲観状態になりながらも再上昇して高値を更新し続けてきている。だからと言って今回もそれがあるとは限らないけれど、ビットコインの値動きをよく見ている人の中には、今が絶好のチャンスと捉えて大量購入する人がいても不思議な話ではない。

 

鈴木商店

皆さんは鈴木商店をご存知だろうか?
鈴木商店は明治から昭和の初めにかけて活躍した商社だ。神戸の一個人商店から始まり、瞬く間に日本一の総合商社になっている。その最盛期にはスエズ運河を航行する船の1割が鈴木船籍だったというから凄いものだ。鈴木商店は昭和に入って倒産するが、鈴木商店からはIHI、帝人、双日、昭和シェル石油、サッポロビール等々の大企業が生まれてきている。僕は個人的に鈴木商店の物語が好きなので、また機会があれば、いろいろと書いてみたいと思うけれど、今回は、とりあえず興味のある方は、下の動画で鈴木商店のあらましを掴んでみて欲しい。

 

 

上の動画の中にも出てくるが、鈴木商店が本格的な世界進出をするきっかけになったのが、鈴木商店の立役者である大番頭の金子直吉による鉄の買いまくりだ。第一次世界大戦勃発時、多くの人が、この戦争は長引かないと考えていたわけだけど、金子直吉は独自の情報網から戦争は長引くと考えて、鉄の需要が増えることを予測し、信念をもって鉄を買いまくっている。鈴木商店が鉄を買いまくるのを見て「鈴木の金子は頭がおかしくなった」とか「これで鈴木も終わりだ」と他の商社ではささやかれていたみたいだから、金子直吉だけがその他大勢と逆の判断をして思い切った行動に出ていたことになる。結局、金子直吉の予測が当たって鈴木商店は巨額の利益を得ることになるわけだ。

 

判断の思考部分について考える

もともとビットコインの値動きをよく観察して分析している人でもない限り、この大暴落状況で新たにビットコインを買ってみようと思う人は少ないはずだ。多くの人は「ビットコインは怖い、危ない、怪しい」といった感情によって、手を出さないという判断に至るだろう。逆に上に書いたマイクロストラテジーなどは、ビットコインの値動きを観察分析し、論理を積み重ねた上で買い増しするという判断にいたったんじゃないかと想像できる。鈴木商店の金子直吉も、他から何を言われようが、自分の情報分析と論理の積み重ねから確信を持って鉄を買いまくったのだと思う。

しかし、情報分析や論理を簡単に裏切ってくるのも相場というものの動きだ。自分の情報分析と論理から確信にいたり信念に固執すると、相場が逆に動いた時には「自分は間違ってはいない!間違っているのは相場だ!」と本末転倒な事を言い出す人もいるくらいだ。以前の記事の論理を超える「なんとなく」でも書いたが、論理よりも直観に従った方が正しいこともある。つまり相場を判断する際、思考部分において論理的な考えが正しいとは限らない。では直観が正しいのかと言えば、論理的な考えよりも分が悪いことの方が多い。もちろん感情に従った判断ともなれば、さらに分が悪いことが多いのは明らかだ。

我々は生きている限り、小さなことから大きな事まで、常に判断を迫られる。判断を迫られるということは、そこに不確定要素があるからだ。だから、その判断が正しかったかどうかは結果論であって絶対的に正しい判断というものはない。それでも我々は判断を行う時は正解するために判断を行う。よく判断材料という言葉が使われるが、判断材料という言葉を出す時点で、その判断は論理に頼ったものと言えるだろう。しかし相場のように論理を逸脱してくるケースも多々あるわけで、ある判断材料による判断が間違っていた場合、そもそも判断材料が間違っていたと、別の論理が持ち出されてくる。しかしこの論理は言わば後付けのものであって、判断前にその論理を確実に引き当てられるものではない。

我々は判断を行う際、論理だけでなく、感情や直観、願望など様々な思考に左右される。だから判断する際、自分はどの思考に偏っているかを意識してみる必要がある。また、自分はどのような場合にどの思考要素のウエイトが高くなりやすいのか、それによって正解を導くことが阻害されている可能性はないかを意識してみることは大切だと思う。

あなたなら、大暴落しているビットコインを買いますか?
自分の判断はどの思考要素によるものですか?
ちょっと真剣に想像してみるだけでも、判断の際の思考要素を意識するきっかけにしてもらえるのではないかと思う。

 

ジャーナリングのすすめ

muute(ジャーナリングアプリ) | ジャーナリングのすすめ

今週からAndroidでもジャーナリングアプリのmuuteが使えるようになったので早速、使ってみた。

ジャーナリングは、日記とは違って、とにかく頭に浮かんだことを思いのままに書きだすというもので、「書く瞑想」なんて言われたりしている。特に感情的な事を書きだしたりすると、ストレス軽減にもつながり精神的にいいということが科学的にも証明されているらしい。

誰に見せるものでもないから、心の赴くままに書いていけばいい。手で実際にノートに書くのがいいらしいけど、muuteにはアプリならではの良さがある。muuteはAIが自分の思考や感情を分析してフィードバックしてくれるから、一人でもくもくと書くのと違って、ちょっとやる気もでるし、楽しい。

感情選択や、muuteが提供してくれる質問に答える形でも書くことができるから、書くことが見つからないなんて時でも、とりあえずは何かを書くことはできる。新たな自分探しの旅をAIが手伝ってくれるようなアプリで、おもしろい。

muute words
muute biorhythm
muute mind space
muute emotioin

僕は、とりあえずTwitterに投稿するような感覚で書いてみている。ただしmuuteへの投稿は他人は見ることなく自分しか見ないから、感情をさらけ出し、アイデアなど思いつくままに書いてるのが、SNSへの投稿との違いだ。

もちろん、何かテーマを決めて書いてみるのもいいし、使い方は人それぞれだと思うけれど、思いつくままに書いたものを振り返ることによって、新たな自分探しができるだろう。それをAIがお手伝いしてくれるから、楽しくジャーナリングを続けられるアプリなのだと思う。そして、とにかく操作が簡単なのが素晴らしい。

自分だけのものを書くわけだから人に見られるのは基本的には困る。muuteの設定でアプリを開くためのパスワード設定や指紋認証の設定も簡単にできるから安心もできる。

目的と手段の罠

実際のところ、自分自身のことって案外分からなかったりする。自分が本当に望んでいるものが何かを、よく認識できている人は、少ないんじゃないかと思う。子供の頃は将来の夢とか、進路を考えるときなどに、自分がどうしたいのかを、ある程度考える機会が与えられたけれど、大人になると、日々の仕事に精一杯で、自分が本当に望んでいるものを考えるということすらしなくなる傾向が多くの人にあるのではないだろうか。

そういった状況下では、目的と手段が逆転する「目的と手段の罠」に陥りやすい。例えば、家族を幸せにしたいというのが本来の望みであり目的だったとする。家族に不自由な生活をさせたくないから多くを稼ごうと思う。その為には昇進も果たさなければならないしと、がむしゃらに働く。仕事、仕事で家にいることも少なくなり、いつの間にか家族とのすれ違いが起こり始める。多少、家族との不和があっても、今、昇進を果たさなければと躍起になり、やがて、それが常態化していく。この時点で目的は「昇進」になっており、目的と手段が逆転してしまっている。僕の父もそうだったけれど、高度経済成長期には多かったパターンではないかと思う。

目的と手段の罠は、現在でもサラリーマンだろうが経営者だろうが、全ての人に起こりやすい現象だ。ひとたび目的と手段の罠に陥ると、本来の自分の望みと違った方向に、力を入れ続けることになる。しかも、本来の目的を忘れ、手段が目的になってしまっていることに気付くことが難しい。

そもそも、自分の本当の望みが何かを認識できていないケースも多いのではないかと思う。例えば「お金持ちになりたい」と思った時に、なぜ自分はお金持ちになりたいのか?を自分に問うてみた方がいい。その答えが、いい車に乗ったりブランド服を着たりして他人に見栄をはりたいなんてことだってある。そしたら、なぜ自分は見栄をはりたいのか?見栄をはることによって自分は何を得ようとしているのか?と、心が究極的に何を求めているのかを自分自身と対話して、本当の望みを認識していく作業は大切だ。自分の本当の望みと違った方向に進んでしまうと、当初考えた「お金持ちになりたい」が実現できても、何か満たされず、どこまでも渇き続けることになってしまう。

 

自分の心が本当に望んでいることを知る事や、目的と手段の罠に陥ってないかをチェックする上でもジャーナリングは有効だ。しかもmuuteの場合、AIがフィードバックしてくれるから、自分だけではなかなか気づきにくいことを気付けるってのが、ちょっと使ってみた僕の感想だ。

ブログに書いたりSNSに投稿する時ってのは、他者を意識して書くから知識を固定する時には有効だし、他者とのやり取りの中で、その知識に対する新たな気づきがあったりする。それに対してジャーナリングは、完全に自分とのやり取りだ。顕在意識と潜在意識との対話と言ってもいいかもしれない。通常、学ぶ時ってのは対象は他だけれど、ジャーナリングは自分自身について学べる数少ないツールだから、皆さんにも試してみて欲しい。muuteなら、その作業も楽しくできるようになっているから、僕としてはおすすめのツールだ。

自分自身について学ぶ旅にでかけよう!!

 

二重スリット実験

二重スリット実験と引き寄せの法則

二重スリット実験と言えば高校時代の物理で習った「ヤングの干渉実験」だ。それぞれのスリットを抜けた水の波の「山と山」もしくは「谷と谷」が出会うと波が強くなり、「山と谷」が出会うと打ち消し合って波がなくなり、その結果、干渉模様ができるというものだ。ところが、これが水の波ではなく量子に置き換わった瞬間に不思議なことが起こる。物理学の世界では、過去、いろいろな説明がされてきているが、謎の現象と言っていいだろう。

下の動画では、量子の二重スリット実験を分かりやすく解説してくれている。その上で、量子の二重スリット実験や光の速度の上限、量子もつれなどの物理の現象をコンピューターゲームと対比して、この世界は仮想現実ではないかという主張を行っている。確かに下の動画で言っているように、この世界が誰かの作った仮想現実ならば、物理の摩訶不思議な現象の説明もつくわけで、とても面白く見させてもらった。

 

 

この世界では我々人間も含め、植物以外の生き物は他の命を奪ったり傷つけなければ生きていくことができない。自然界のシステムはとてもよく出来たシステムではあるけれど、どうして、こんな残酷なシステムになっているんだろうかと考えることが僕はたまにある。でも、この世界が誰かが作った仮想現実ならば、この方が面白いから、こんなシステムにしたんじゃないかと、とりとめもなく考えてしまった。笑

 

観察によってプログラムのスイッチが入る仕組みならば、シュミレーションゲームのように思考はゲーム展開にもっと大きなトリガーになるのかもしれない。そこで、暫く前に流行った「思考は現実になる」のロンダ・バーンの「ザ・シークレット」を思い出した。「ザ・シークレット」以後、あちこちで「引き寄せの法則」を目にするようになったから、インパクトのあった自己啓発書と言えるだろう。

 

 

「ザ・シークレット」はあちこちに影響を及ぼしたけれど、「思考は現実になる」とか「引き寄せの法則」は表現は違っても、過去の自己啓発書でも同じことが言われている。

僕が20代の頃は、自己啓発が流行った時期で、ナポレオン・ヒルの「成功哲学」に始まり、様々な自己啓発書がたくさん書店に並んでいた。そんな中でポール・J・マイヤーという人の言葉がカッコよく感じて、未だに覚えている。

 

ポール・J・マイヤーの言葉

Whatever you vividly imagine, ardently desire, sincerely believe,
and enthusiastically act upon… must inevitably come to pass.

鮮やかに想像し、熱烈に望み、心から信じ、魂を込めた熱意をもって行動すれば、何事も必ず実現する。

 

ちなみにマザー・テレサが言ったとされる言葉も、意味合いは似ている。

 

マザー・テレサの言葉

Be careful of your thoughts, for your thoughts become your words.
Be careful of your words, for your words become your deeds.
Be careful of your deeds, for your deeds become your habits.
Be careful of your habits for your habits become your character.
Be careful of your character, for your character becomes your destiny.

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

いずれも、思考が最初にあり、それを言葉にして行動があって望みが実現することを言っている。過去の自己啓発書でも、思考の仕方や、それを言葉にするやり方、そして、どのようにそれを行動に落とし込んでいくかを解説しているって感じじゃないだろうか。「ザ・シークレット」では、ここにさらにスピリチュアル的な要素が入り込んでるから、それが、世界中で売れた要因なのかもなんて、僕は思っている。

スピリチュアルでは思考や魂を、エネルギーや波動として表現する。普段、我々も「あの人とは波長が合うとか合わない」といったような表現を使うから、なんとなく奥底で感じ取っているものなのかもしれない。上の「ザ・シークレット」の動画では我々が望みを本気で思えば、宇宙がそれを与えてくれるってことだから、宇宙の波動と我々の波動を同調させるって感じなのかもしれない。この世界が誰かが作った仮想現実だとするならば、その中で予めプログラムされたものに合わせて効率よくプレイするための解説書みたいな感じかもしれない。

「ザ・シークレット」の動画の中では、ポジティブな思考よりネガティブな思考の方が強く作用することと、宇宙は否定形を理解できないということを言っている。これはとても重要なポイントだと僕は思う。それ故、実践はとても難しいと僕には思えるのだ。

望みをかなえるために思考を変えること

思考を変えるというのは、とても大変な事だと僕は思う。
何かをやる時に「自分なら出来る!」といくら言い聞かせても「でも失敗するんじゃないか」という不安が付きまとう時点で、思考は変えられていない。逆に無理っぽい事でも、「なんとかなるんじゃねえの!」って思える時は、案外、なんとかなったりする。これは思考が出来る!になっているからだ。

自己啓発書によく出てくるワードで「お金持ちになりたい」ってのがある。この「お金持ちになりたい」という事を思った時点で、自分がお金持ちではないことを認めてしまっている。よく言われる顕在意識と潜在意識でいうならば、顕在意識で自分は「お金持ちだ」といくら思っても、潜在意識では、それを否定した状態だ。

結局のところ、まずお金持ちになるためのロードマップを作り、それを、自分に出来る事だと分かるところまで細分化して、細分化したもの一つ一つについて学び、行動し、実現していくしかない。細分化したものが一つ一つ実現していく中で、成功体験が積み重なり、初めて、お金持ちになるという望みが潜在意識にも浸透していき思考が変わっていくってことじゃないかと思う。本当に思考を変えるためには経験も含めた学びが必要だと思うのだ。

この過程で「カステラの法則」が発動されるのは容易に想像できる。つまりは引き寄せだ。思考の実現も引き寄せの法則も、最初に思わなければ始まらないことは確かだけれど、ただ思って、願っていれば宇宙が与えてくれるってことではないと思う。

本当の意味で思考を変えるためには、経験も含めた多くの学びが必要になってくると僕は思う。

SHIN MICの教室では自己実現と思考の関係なんかも、扱っていく予定だ。

永田鉄山

永田鉄山 | 歴史の「もしも」を考える事

昨日、たまたま永田鉄山が長野県の出身であることを知った。近現代史に詳しい人なら、今さら何をって話だろうけれど、東条英機や石原莞爾の名前は知っていても永田鉄山の名前を知らない人はけっこう多いんじゃないだろうか。

以下はウィキペディアからの抜粋だ。

永田 鉄山(ながた てつざん、1884年(明治17年)1月14日 – 1935年(昭和10年)8月12日)は、日本の陸軍軍人。統制派の中心人物。陸軍中央幼年学校を2位、陸軍士官学校を首席、陸軍大学校を2位で卒業したのち参謀本部第2部長、歩兵第1旅団長などを歴任した。軍政家として本流を歩み「将来の陸軍大臣」「陸軍に永田あり」「永田の前に永田なく、永田の後に永田なし」と評される秀才だったが、陸軍省軍務局長で階級は陸軍少将時に、陸軍内部の統制派と皇道派の抗争に関連して相沢三郎陸軍中佐に殺害された。

ウィキペディア

僕が中学・高校の頃は、学校では近現代史は、簡単にしかやらなかったから、僕が永田鉄山を知ったのは大人になってからだ。きっかけは2.26事件を描いた映画226を見たことだった。この映画の中で繰り返し歌われていたのが「昭和維新の歌」だ。僕が当時、通った高校では、入学すると新入生全員に、校歌や応援歌が掲載された歌集が配られた。この歌集には校歌や応援歌以外にも、旧制高等学校寮歌や民謡まで掲載されていたが、その中に「青年日本の歌」という題名で「昭和維新の歌」も掲載されていた。それが映画の中で繰り返し歌われていたから、高校時代なんとなく眺めていた歌詞の歌がどういう歌なんだろう?という疑問から、二・二六事件を初めて詳しく調べ、その過程で永田鉄山という人物を知ったわけだ。

「昭和維新の歌」は昭和5年5月、当時24歳だった三上卓海軍少尉が作詞したものだ。歌詞の内容は今現在の日本にも当てはまる部分があり、屈原の楚辞を知らなければ、冒頭の歌詞から意味が分からないから、教養も織り込まれた、なかなか素晴らしい歌詞だ。この歌は昭和7年の5.15事件、昭和11年の2.26事件に連座した青年将校などが歌い継いでいる。現在では軍歌というジャンルに入れられているが、作詞された経緯や内容的にも軍歌とは、ちょっと違うんじゃないかと僕は思っている。以下にその歌詞を掲載しておくので、読んでみて欲しい。

昭和維新の歌
作詞・作曲:三上 卓

一、
汨羅(べきら)の渕に波騒ぎ
巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ
混濁(こんだく)の世に我れ立てば
義憤に燃えて血潮湧く

二、
権門(けんもん)上(かみ)に傲(おご)れども
国を憂うる誠なし
財閥富を誇れども
社稷(しゃしょく)を思う心なし

三、
ああ人栄え国亡ぶ
盲(めしい)たる民世に踊る
治乱興亡夢に似て
世は一局の碁なりけり

四、
昭和維新の春の空
正義に結ぶ丈夫(ますらお)が
胸裡(きょうり)百万兵足りて
散るや万朶(ばんだ)の桜花

五、
古びし死骸(むくろ)乗り越えて
雲漂揺(ひょうよう)の身は一つ
国を憂いて立つからは
丈夫の歌なからめや

六、
天の怒りか地の声か
そもただならぬ響あり
民永劫(えいごう)の眠りより
醒めよ日本の朝ぼらけ

七、
見よ九天の雲は垂れ
四海の水は雄叫(おたけ)びて
革新の機(とき)到りぬと
吹くや日本の夕嵐

八、
ああうらぶれし天地(あめつち)の
迷いの道を人はゆく
栄華を誇る塵の世に
誰(た)が高楼の眺めぞや

九、
功名何ぞ夢の跡
消えざるものはただ誠
人生意気に感じては
成否を誰かあげつらう

十、
やめよ離騒(りそう)の一悲曲
悲歌慷慨(こうがい)の日は去りぬ
われらが剣(つるぎ)今こそは
廓清(かくせい)の血に躍るかな

この歌詞からは当時の社会への不満や憤りと共に何とかしなければという思いが伝わってくる。2.26事件を引き起こした青年将校たちは、純粋にこういった思いを抱いていたのではないかと思うが、2.26事件を調べると、すぐに分かるのが、当時の陸軍内の皇道派と統制派という派閥の争いが事件のベースにあることが分かる。2.26事件の青年将校は皇道派に属しており、永田鉄山は統制派の中心人物だ。

永田鉄山が陸軍省軍務局長に就任してから、皇道派は陸軍の中心から追いやられていく。そんな中、皇道派の相沢中佐が陸軍省を訪れ、白昼に永田鉄山を斬殺するという事件が起きる。この斬殺事件が、その後の2.26事件に繋がっていく。

経緯を恐ろしくザックリ書いたけれど、この辺りの事に興味のある人は是非、調べてみて欲しい。

僕は映画226から入ったから、皇道派の青年将校に同情的な感情があったのと、永田鉄山は満州事変を支援し、「国家総力戦」「国家総動員体制」づくりを進めた中心人物だし、永田鉄山に対して、あまりいいイメージを抱かなかった。満州事変は泥沼の日中戦争から対米戦争に繋がっていくし、国家総力戦、国家総動員体制は、あの戦争で国民に塗炭の苦しみを味合わせたからだ。

しかし永田鉄山について調べていくと、しばしば「もし永田鉄山が生きていたら、太平洋戦争は回避できたのではないか?!」という意見を目にする。

当時の陸軍の軍人で名前の頭に「天才」の2文字をつけられるのは、満州事変を主導した石原莞爾と永田鉄山くらいだろう。永田鉄山が生きていれば東条英機が歴史の表舞台に出てくることはなかったと言われるくらいだから、凄まじく頭の切れる人だったのだろう。軍隊の存在価値は戦争回避にあるというのが永田鉄山の考えだったようだし、国家総動員体制もその後の歴史から我々がイメージする国民を戦争に引きずり込むような概念とは別のものが彼の頭の中にあったのかもしれない。満州事変を主導した石原莞爾は最終的にアメリカとの戦争を見据えながら、中国と連携する必要性を感じており、日中戦争には反対の立場だったと思われる。満州事変は彼の中では何手先も考えた布石だったのだろうけれど、現実は、その反対へと動いて行ってしまったわけだ。

石原莞爾はその言動や行動から、僕は天才肌の組織の型にはまらない癖の強い人だったのではないかと思う。それに対して東条英機は典型的な組織人だったのではないかと思われる。石原莞爾と東条英機は水と油で、仲がよろしくなく、東条英機が実権を握ったあとは石原莞爾は陸軍を追われていき、太平洋戦争時には完全に蚊帳の外だ。

永田鉄山は頭が切れ、政界、官界、経済界に幅広い人脈を持ち、人望も厚かったようだ。少なくとも東条英機は永田鉄山のことをめちゃんこ尊敬していたらしいから、もし生きていれば、東条英機と石原莞爾の2人をうまく使ったのかもしれない。

歴史の「もしも」を考える事

「もし永田鉄山が生きていたら、太平洋戦争は回避できたのではないか?!」

永田鉄山は合理的な人だったようだし、日露戦争の成功体験から抜け出れない陸軍を刷新し、変革を行うという実行力もあった。そんな彼だから、対米戦争の勝ち目が見出せなければ、そのスーパーな頭脳と人脈を駆使して戦争回避に全力を尽くしたかもしれない。しかし、実際の歴史では彼が引いたレールは陸軍暴走へと繋がっていったわけだから、果たして回避なんてできたんだろうか?

この「もしも」を真剣に考えようとすると、当時の世界情勢と日本の置かれていた状況、日本の社会状況、経済、国民感情、軍や政界中央部にいた人物それぞれの生い立ちや性格と思想、世界や日本の当時の感覚等々、膨大な情報が必要になってくる。

そして、我々一般人はとかく歴史を現代の感覚で考えてしまいがちだが、当時の感覚を理解できなければ、その当時の人の言動や行動の意味を正確に理解することができない。そういった感覚や感情を理解するためには、さらに膨大な周辺情報が必要になってくる。

「歴史にもしもはない」

なんて、よく言われるけれど、それは「もし、こうだったら良かったのに!」と考える事であって、真剣に歴史の「もしも」を考える事は、集めた情報から様々なケースを考えることになり、自分なりに歴史認識を深められると思うのだ。

「もし織田信長が生きていたら」

とか、そんなことを情報を集めて自分なりに真剣に考えてみるのは、それなりに知識も増えるし、けっこう楽しい。もちろん僕らは歴史学者ではないから、それを論文に書く必要もないし、完璧な情報や論理を持ち込まなくても、楽しみながら自分なりに歴史認識を深められれば、それでいいと思うのだ。

今、大河ドラマでやってる渋沢栄一の「もしも」だっていい。それを考えるために、調べ、自分自身で考えることによって、必ず新たな知識や考え方が入ってくる。それは自分自身を豊かにしていくものだ。

歴史の「もしも」を考えて楽しんでみて欲しい。