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異文化理解と日本人

May 2, 2021 学びの種
異文化理解

暫く前のYAHOOの記事に以下のようなものがあった。

 

クルド人が入管法案反対 難民申請3回で送還対象「人生終わる」

政府が今国会に提出した入管法改正案に反対するため、埼玉県川口市で暮らすクルド人ら約80人が18日、同市内で記者会見した。現状は難民申請中であれば送還は停止されるが、改正案では3回目以上の申請者を強制送還の対象にしている。この日は、すでに3回以上難民申請し、送還される可能性が非常に高い人も多く参加し「帰ったら弾圧される恐れがある。私たちを助けてほしい」と切実な思いを訴えた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/34557dee91835a7fcdb160acfade2dda249ddb0b

 

日本は1981年に難民条約に加入しているが、難民受け入れに対する政治的な意思が十分にないのが現状だ。難民の受け入れに対しては、さまざまな意見や考え方があるだろう。しかし、外国人の人権を守ることに対する、日本社会の意識の希薄さは否めない。と言うより、それに関心が無いというか、気付いていない人が多いのが現状のような気がする。

僕は日本人だし日本に住んでいることが当たり前だ。ところが、Facebookを通して海外から僕を訪ねて来てくれた人たちと話していると、この感覚が我々に比べ極めてあいまいなことを感じる。マレーシア人だと言うから、当然マレーシアに住んでいると思って会ってみると、住んでいるのはアメリカだったり、オランダ在住のオランダ人という言うから、ゲルマン系だと思って会ってみると、人種的にはペルー人だったりスコットランド人だったりする。今SHIN MICで一緒に仕事をしているイタリア人にしても、イタリアでは大学を出ても、まともな仕事になかなかありつけないから、皆、海外に出ていくのが当たり前だなんて言っている。彼らの国境をまたぐ感覚は我々の県をまたぐくらいの感覚なのかもしれないと想像してみたりする。

多くの国では異文化に触れたり異文化に飛び込むことが当たり前であるのに対し、日本ではまだ異文化に接することは特殊なことなのかもしれない。その辺が外国人の人権を守ることに対する無関心さに繋がっているのかもしれない。

 

昨今の教育現場では、グローバル教育だとか、国際交流、異文化理解といったような言葉が並べられることが多い。僕が勤めた学校でも、そんな言葉が振り回されていた。しかし、せいぜい文化的な違いを知るところまでで、理解しようという姿勢がないのだ。その証拠に外国人の教員や留学生対して、二言目には「ここは日本だから・・・」を連発してしまう。つまり、日本文化や日本社会の価値観の押し付けをひたすらやってしまうのだ。日本の価値観では「郷に入っては郷に従え」だ。ところが、「郷に入っては郷に従え」を良しとする国の人たちもいれば、とても屈辱的なことと捉える国の人たちもいる。ところが「ここは日本だから・・・」を連発する人たちは、他の価値観があることが分からないから、ひたすら本人によかれと価値観の押し付けをやってしまい、屈辱的な思いを与えることになるケースがあるわけだ。一般の学校と違い、インターナショナルスクールなどでは、この辺りのことがよく分かっていて配慮されているようではあったけれど。

 

異文化の洗礼

僕が初めて異文化の洗礼を受けたのは大学4年生の時だ。配属になった研究室には大学院生として留学してきていたタイ人女性がいた。研究室配属になってすぐに気づいたのが、彼女がよく机に伏せてシクシクと泣いている姿だ。どうしたのかと声をかけると「日本人はみな私に冷たい」と言う。たしかに観察してみると他の大学院生は、どことなく彼女に対してよそよそしいし、時としてきつめの言葉を浴びせているところを目にすることもあった。僕は可哀そうに思い、積極的に彼女に声をかけることにした。すると「あなただけは優しい」とか「弟みたいでかわいい」とか言い出し、仲良くなった。しかし、2ヶ月も経った頃、なぜ皆が彼女によそよそしいのか、その理由が僕にも分かってきた。

当時、オーバーナイトと言って、夜中まで研究室に残り実験をすることがあった。彼女は日本の大学を出ているわけではなかったためか、化学的な知識に乏しく、実験手法の化学的な意味合いが理解できていないことがあったため、たまに頓珍漢なことをすることがあった。彼女がオーバーナイトで実験をしている時、当然、僕は家に帰って寝ている。そして、午前3時とか4時に彼女から電話がかかってきて起こされるのだ。「実験が分からなくなった!いますぐ来て教えて!」当然行くわけもなく「何時だと思ってるんですか!寝ます!」と言って、いつも電話を切っていた。次の日に彼女に文句を言うとキョトンとした顔をしている。仕方なく実験の説明をすると「分かってるのに、なぜ、来てくれなかったのか?」と言い出す始末だ。これでは、付き合いきれない。

そして事件が起きた!

彼女が引越しをするから手伝ってくれる人を集めて欲しいと言ってきた。僕は学部中を飛び回ってお願いして、人を集めた。そして彼女が指定した場所と時間に皆に集合してもらった。ところが肝心の彼女が現れない。集まってくれた人たちも「せっかく時間とってここままで来たのに、どうなってるんだ?」と言い出すし、僕はみなに謝りながら、ひたすらもう少し待ってくれるようにお願いした。指定時間から30分を過ぎ、これ以上は無理かと解散しようと思ったところに、数人を引き連れて彼女が現れた。
そして開口一番

「はやく、はやく、こっちに来て!」

なんじゃ、そりゃ!

「みんな貴重な時間を空けて、手伝いをするために、わざわざここまで足を運んでくれてるのに、30分以上待たせて、まずは、ごめんさい!じゃないのか!!」

と僕は彼女にくってかかった。

すると彼女と一緒にやってきた他学部の大学院生を名乗る男に

「君は彼女と同じ研究室なんだろ!?彼女の国と日本とでは文化も違うし、そういうことが理解できないの?同じ研究室なら、そんな文句を言っていないで、まずは文化の違いを理解しないとね!!」

と、逆に僕が怒られた。これがまた、赤いバンダナにサングラスといういで立ちで、いかにも国際通みたいな雰囲気のキザっぽい感じがして、「お前に、そんな事を言われる筋合いはねー!」と僕はブチ切れ、このあと彼と大喧嘩になったのだ。笑

当時の僕は彼女の夜中の電話にも耐えて、研究室の中では一番仲良くしていたつもりだし、彼女のためにあちこちで頭を下げて人も集めたわけだから、赤いバンダナの男の言葉は不条理そのもので、怒りが爆発したわけだけど、今になって考えてみれば、彼の言葉は正しい。当時の僕は国や地域が違えばアイデンティティーが変わってくることを理解していなかったのだ。これについては、また、探求の教室で詳しく取り上げたいと思っている。とにかく異文化理解ってのは言葉で言うほど簡単なことではないのだ。

 

異文化理解

よく外国人は契約にうるさいから外国人に対しての契約書はしっかりと全て書いておかないと!みたいなことが言われる。このことは、多くの人が知っていることであると同時に、この言葉を言うとき、どこかに「ケチ」とか「めんどくさい」とか「協調性がない」という感情があるのではないだろうか。しかし、彼らの心の中にはちょっと違う感情がある。

例えば就業時間は17:00までだが、社内で大きな催し物があって、時間がオーバーしちゃったけど、皆で頑張って17:30にはなんとか終わったとしよう。日本人的には、なんとか無事に終了してよかった!お疲れ様でした!って話だけど、外国人(国や地域による)だと、表に出さなくても、心の中では大きな怒りを抱えているケースがある。表に出せば日本社会では「協調性がない」ということで白い目で見られることになるから、彼らも皆の前では表には出さないけれど。仮に17:00に彼らだけ時間通り帰したとしても、やはり、彼らの心の中には怒りが渦巻く。彼らにしてみると自分だけではなく、他の人も就業時間を過ぎても当たり前のように仕事をしている体制に怒りを感じているのだ。これを繰り返すことによって彼らは自尊心を傷つけられ、消耗していく。

これは彼らにとっては倫理の問題なのだ。契約の時間を過ぎてサービスで働くことは理由は何にしろ、彼らにとっては、それは、してはならない悪いことなのだ。つまり、悪いことをしている自分に対して良心の呵責があるわけで、さらには、その悪いことに対して、誰も異を唱えることもなく受け入れているということに怒りを感じるのだ。しかも、この良心の呵責は日本人には理解されないから、彼らにとっては、よけいに行き場のない怒りとストレスになっていくのだ。

「外国人は契約にうるさい」というのが異文化を知っている事であり、「良心の呵責」という感情を知る事が理解することだ。理解をしたうえで、どうしていけばよいかという事を考えなければならないと思うが、日本社会では「外国人は契約にうるさい」というところで終わってしまっているケースが多いのではないだろうか。

 

日本は少子高齢化が進んでおり、移民を受け入れて大国としての地位を保つのか、人口減少を受け入れ、アジアの小国への道を歩むのかという岐路にある。そんな中、国は移民の受け入れに舵を切りつつあるようだ。その為には、難民も含めて、外国人に対しての制度面を変えていかなければならないだろう。そして、その制度を変えていく時に必要なのが、異文化に対する理解だ。異文化理解とは、違いを知るだけではなく、その背後にある感情面を理解して考える事だと僕は思う。

SHIN MICの教室では語学を通して、本当の異文化理解にまで踏み込んでいきたいと考えている。

 

YUICHI KOBAYASHI

YUICHI KOBAYASHI

ちょっとした意識の持ち方で自分の世界は大きく広がります。人生を豊かにする楽しい学びをしていきましょう!!

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