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Archive: 2021年5月28日

クサノオウの花

身の周りの植物から広がる世界 | アヘンの代替品クサノオウ

上の写真は、今朝、家の横で撮ったクサノオウという雑草の花だ。今、あちこちでこの雑草の花が咲いており、よく注意してみると松本市街地でも路傍で目にすることができる。普通はこんな雑草の花をいちいち気にとめる人は少ないだろうから、ほとんどの人は咲いていることすら意識に飛び込んできていないだろう。

でも、このクサノオウは何気に凄い草だったりする。

クサノオウはケシ科クサノオウ属の典型的な毒草だ。毒という事は、逆に薬にもなるということで、古くから薬草として利用されてきた。

 

古くから主に民間療法において薬草として使用されてきた歴史がある。漢方ではつぼみの頃に刈り取った地上部を乾燥させたものを白屈菜と称し、特にいぼ取りや、水虫、いんきんたむしといった皮膚疾患、外傷の手当てに対して使用された。また煎じて服用すると消炎性鎮痛剤として作用し胃病など内臓疾患に対して効果がある、ともされている。しかし胃などの痛み止めとして用いる際には嘔吐や神経麻痺といった副作用も現れる。湿疹、疥癬、たむし、いぼといった皮膚疾患の外用薬としても有効であるが、有毒植物であるため内服するにせよ外用するにせよ、素人が処方なしで用いるのは危険である。

ウィキペディア

 

西洋ではケリドニンの中枢神経抑制作用を利用してアヘンの代替品として用いられたり、がんの痛み止めにも使用された。日本では晩年に胃がんを患った尾崎紅葉がこの目的で使用したことで特に有名であるが、本種自体が強い毒性をあわせもつので現在は用いられない。

ウィキペディア

 

クサノオウの茎や葉からは有毒な橙黄色の汁液が出てくる。この汁液には、ケリドリン、プロトピン、ケレリトリンなどのアルカロイドが含まれている。このアルカロイドはケシに比べれば弱いが、鎮静作用や知覚末梢神経を麻痺させる作用があるから、それを利用して上のウィキペディアの記載にあるように、西洋ではアヘンの代替品として使われたのだろう。ちなみに尾崎紅葉は、晩年に胃がんを患った際に痛み止めとしてクサノオウを使用している。

 

クサノオウの橙黄色の汁液

クサノオウの汁液

この汁液が健康な皮膚につくと炎症を引き起こしたり、間違って口に入ったりすると、嘔吐、下痢、昏睡、呼吸麻痺、手足のしびれといった症状がでるようだから、要注意だ。

 

ネット上を探すと、このクサノオウの麻薬成分を試すべく吸引にチャレンジした人の記事があった。基本的にクサノオウは毒草だから、かなりのチャレンジャーだ。以下は書かれていた吸引後の感覚の一部だ。

 

世界が完全になった。
この感覚はうまく言葉に表せないのだが、とにかく不完全だった世界が今まさに完全になりつつあり、光は手裏剣型に滲み、脳みそはフル回転し、背筋に心地よい怖気のようなものが走り、世界は完全になり、近視なのにメガネなしで遠くの山の端まですっきり見えた。
やがて首の裏から発した地震は背中全体を駆け巡り、射精感にも似たびくつきは6回を数え、数えるごとにそれはいや増し、世界は完全になり、あごはがくつき、目は見開かれた。

車上生活で本を書く 青井硝子のケイトライフ
「煙遊び」と「煙薬(けむりぐすり)」について

 

吸引後の感覚を、幻覚などはなく、酩酊感や覚醒といった感覚とも違うと記事には書かれているが、「世界が完全になった」なんて感覚は、まさにクスリがキマッた時の感覚ではないかと僕は想像する。

とにかく、道行く人のほとんどが全く意識にとめず、そこに咲いている事にさえ気づいていないこの雑草は、なかなか凄い草ということだ。前回の記事に書いたDr.Stoneの千空であれば、こういった身の周りの草からも有用な化学物質を精製することが出来るだろう。

 

身の周りの植物から広がる世界

実はこういった麻薬成分を含む植物はクサノオウ以外にも存在している。例えば、野生のものから観賞用のものまでチョウセンアサガオはアルカロイド系の毒素を持つ植物で、ドラッグとして使用すると強烈な幻覚作用を引き起こす。江戸時代に世界初の全身麻酔による外科手術を行った華岡青洲がチョウセンアサガオから精製したものを「通仙散」という麻酔薬として使ったのは有名な話だ。また、チョウセンアサガオの別名にダツラという呼び名があるため、かつてオウム真理教が「ダツラの技法」と称して、信者の洗脳や自白にチョウセンアサガオを利用していたらしい。

 

チョウセンアサガオの花

チョウセンアサガオの花

 

毒系では、たまに観賞用に植えてあるのを目にするトウゴマは、もともと種からヒマシ油という油を搾るための作物だが、トウゴマからはリシンというタンパク質を精製することができる。このリシンは猛毒で、かつてKGBが暗殺に使用した毒物として有名だ。庭先や畑の隅に観賞用に植えてあるトウゴマを目にするたびに、僕はリシンが使われた事件を思い出すが、トウゴマを知らない人は、そこに植えられていることも意識のうちに入ってこないのだと思う。

今日、写真に撮ったのがアヘンの代替品にまでなったクサノオウだったので、麻薬成分や毒物系でチョウセンアサガオやトウゴマを紹介してしまったが、道を歩いていて目に入ってくる雑草は、知っていれば、かなり面白い。現在は迷惑な雑草として扱われているが、もともとはサラダ菜として日本に入ってきたものや、ハーブとして入って来たもの、つまり食べられる系や、薬草系、有用な化学成分を含んだものなど、知っていれば、道を歩きながら雑草を見てるだけでもかなり楽しめる。

そして、クサノオウから尾崎紅葉、チョウセンアサガオから華岡青洲の世界初の全身麻酔による外科手術が出てきたように、それぞれの雑草も一歩踏み込んで調べてみれば、面白いことがたくさん出てくる。雑草から化学や歴史、デザインなど、広い範囲に知識を広げる事ができる。現在では、カメラを向けるだけで、その植物の名前を教えてくれる便利なアプリもあるから、知らない植物の名前を調べるのも簡単だ。是非、よく目にする雑草を一歩踏み込んで調べてみて欲しい。

きっと、普段歩く道で、今までと違った楽しみができ、違った世界が広がるはずだ。

これは植物に限ったことではなく、今まで何気なく見てスルーしていた石碑なんかもそうだ。

ちょっと意識するだけで、多くの学びが生まれ、自分の見える世界が変わっていく。

 

イタドリのジャム

Dr.Stone–学びのモティベーション

子供に薦められてアニメ「Dr.Stone」を一気見した。
人気アニメらしいので、見たことがある人も多いのではないかと思う。物理、化学、地学、生物と科学知識が詰まったアニメで、とにかく面白く、一気見してしまった。

あらすじは、ある日、突然、空が発光し、その光を浴びた全人類が石化してしまう。約3700年後の文明が消え去った原始の地球で、主人公の石神千空(いしがみ せんくう)は石化が解けて目覚める。天才的な科学知識を持った千空は、遅れて目覚めた仲間たちと共に、何もないゼロの世界から鉄や銅、火薬、ガラス、サルファ剤、インスタント食品、発電所、はては携帯電話まで作り上げ、現代文明復活を目指して、奮闘していく。

 

 

このアニメがなんと言っても面白いのは、千空は現代文明に溢れている上記のようなものを、岩石や植物など身の周りの資源を使ってゼロから作り上げていくところだ。例えば、普段身の周りに溢れているガラス一つとっても、何もない状態でゼロから作ってみろと言われたら、我々は途方にくれてしまう。たとえガラスが何かを科学的に分かっていたとしても、原材料の調達、その加工技術、加工するための道具、それらが何もない状態では、お手上げだ。それを千空の知識をもとに仲間で協力して一つ一つクリアして作り上げていく様子は、見ていてワクワクする。

このアニメで注目すべきは、千空の科学知識と、もう一つは千空のリーダーシップだ。仲間にビジョンを示し、ロードマップを作り、適材適所に人を振り分け、そして自ら果てしない作業を繰り返して働く。しかも常に仲間と対等な関係を築いている。まさに現代に求められている理想的なリーダー像と言える。だから見ていて、千空はカッコいい!ちなみに僕は千空を見ていて、本田宗一郎が頭に浮かんでしまった。本田宗一郎にとっての藤沢武夫に相当する相棒がやがて千空にも現れるのだろうか?そんな見方もワクワクする。

おそらく、このアニメを見る子供たちは、科学的な知識の部分は理解できなくても、科学ってスゲー!とか、千空がカッコいい!とか、そういった感動を持つことだろう。この感動はとても大切だ。そして好奇心の強い子であれば、実際に石鹸を作ってみよう!とか、インスタント食品を作ってみよう!とアニメを見た知識から、さらに自分で調べ行動に移すかもしれない。行動に移した時のワクワク感は宝物だ。

物でもビジネスでも、特にゼロから作り出すときのワクワク感は格別だ。このゼロから何かを作り出そうとするときのワクワク感は、子供に限ったことではなく、何歳になっても、その気になりさえすれば手にいれられる。それは趣味でも仕事でも、ちょっとした日常のなかでの探求でも手に入れる事ができる。

真綿作り

天蚕の真綿を作成

森の中でヤママユガ(天蚕)の繭を取ってきて、真綿を作ってみた。
http://yamura-yasuke.club/?p=6058

イタドリのジャム

イタドリのジャム

河川敷や高速道路の脇に生えているイタドリでジャムを作ってみた
http://yamura-yasuke.club/?p=395

上の真綿作りとジャム作りは僕の個人ブログに以前投稿したものだ。千空と違って、鍋や重曹など道具が揃った状態ではあるけれど、材料は森や野で調達してきたものだ。当時、子供と一緒に作ったものだけれど、大人の僕もとっても楽しかった。森の中の木にぶら下がってる繭から真綿が作れちゃうんだ!その辺に生えている草から、こんな美味しいジャムができるんだ!っていう驚きと感動がある。こういった驚きや感動は大切な学びの種になる。

宇宙戦艦ヤマト

僕は小学校4年生の時に宇宙戦艦ヤマトを見て感動したことを憶えている。それまで見てきた戦闘物のアニメはマジンガーZだったり、ゲッターロボだったり巨大ロボものばかりだったから、宇宙戦艦ヤマトは違うテイストで、初めての波動砲発射シーンは当時の僕にとっては衝撃的だった。

波動砲の威力から僕は当時巨大エネルギーに興味をもち、関心が原子力へと移っていった。ネットもない時代だったけれど、図書館の本を開いて調べ、広島に落とされた原爆はウラン235を使っているのに対して、長崎に落とされた原爆はプルトニウムを使っている事、ウランには235と238の同位体があり、235はわずかにしかない事、広島で使われたウランはカルノー石から採取されている事、ウランの濃縮過程でイエローケーキが作られる事、原爆と原発では使われているウランの濃縮率が違う事などを、詳しい理屈は分からなくても、知っていた。そして、原爆が核分裂反応であるのに対して、より大きな威力の水爆は核融合反応であり、水爆の起爆装置に原爆が使われている事、水爆はウランではなく重水素を使用する事、重水素は海水から無尽蔵に入手出来る事、核融合炉は原発と違い、核廃棄物が極めて少ない事を知った。だから小学校5年生の時には大人になったら、夢のエネルギーを手に入れるために核融合炉の研究に携わりたいなんてことをぼんやりと思っていた。まあ、中学に入学する頃には、そんな興味はなくなり、結局、核技術者を目指すことはなかったけれど。

ネットも無い時代、小学生の僕が、これだけ核関係について調べる事ができたモティベーションは、宇宙戦艦ヤマトの波動砲の威力に対する感動だ。

 

Dr.Stoneでは、身近にあるものの具体的な科学知識が満載だから、科学的好奇心の強い子にとっては学びのモティベーションの塊のようなアニメではないかと思う。Dr.Stoneに限らず、最近のアニメや漫画では、歴史や文化、人間関係など多くを学べるものが多いと僕は思う。そして、言葉ではうまく説明できないのだけれど、感覚的な部分で時代の先端が反映されている作品が多いように感じている。

学びのモティベーション

僕が高校に勤めた時に日本人とユダヤ人の同祖論を主張する生徒がいた。伊勢神宮の石灯籠に刻まれた五芒星に始まり、神社の位置関係、Y染色体ハプログループのD系統などを根拠に主張していた。

ちなみに僕が伊勢神宮の五芒星や日ユ同祖論を初めて知ったのも漫画だ。

都市伝説やオカルトチックなところから、日ユ同祖論にハマる人は結構いるから、彼も、そんな感じかな!?と思いながらも、じっくりと話をしてみたことがあった。話をしてみて、とにかく驚いた。ユダヤ人の歴史から、ユダヤ教、トーラー、生命の木、タルムード等々、ユダヤ関係の知識の深さが半端ない。う~ん、こりゃ大学レベルだ・・・。

彼も最初は都市伝説のようなところから日ユ同祖論を知ったようだ。でも、そこに「おもしろい」とか「すごい」という感動があったのだと思う。そして、それをモティベーションにして学んだユダヤの知識は深く本物だ。これだけの知識を彼自身が楽しく夢中で学んだというのがポイントだ。

日本の学校では未だに勉強は「教えるもの」「教えられるもの」といった感覚が強いが、学ぶのはあくまでも本人だ。彼のユダヤに関する知識も、僕が小学生の時の核に関する知識も、一般的なその年齢の知識を超えるものだ。なぜ、それだけの知識を持つことが出来たかと言えば、それを夢中で学ぶだけのモティベーションがあったからだ。

この学びのモティベーションになるものは、もちろん人によって違うのが当たり前だが、必ず「おもしろい」「かっこいい」「すごい」「きれい」「すごい」「ふしぎ」といった感動の感情がある。これが学びの種になり、そこから学びのモティベーションが生まれてくる。

だから次世代の人材を育てる上で、こういった学びの種を多く得られる環境が重要だと僕は思っている。しかし現在の学校環境では逆に、この学びの種を排除してしまうケースが多々あるのだ。どうしても大人は学校という既存のシステム側からの目線と都合が優先してしまうからだ。

僕はこれでも年齢の割には頭が柔らかい方だと勝手に思っている。それでも、子供に薦められて最近のアニメを見たりすると、はっと、自分の感覚が時代遅れになっていることに気づかされることがある。知らず知らずのうちに自分の感覚が時代遅れになってしまっているのは多くの大人に当てはまるものだと思う。次世代の子供たちに多くの学びの種を提供し、自分自身も楽しくワクワクするためにも、我々大人も学びの種を意識し、純粋な学びのモティベーションの感覚を改めて思い出すことは大事だと思っている。

SHIN MICの思考と探求のクラスでは、そんな多くの学びの種を提供していきたいと思っている。

教室とフェイク

フェイクと僕らの判断

スマホアプリのFaceAppRefaceを使ってみた。

FaceApp若返り加工
FaceApp老化加工
FaceApp性別変更若返り加工
FaceApp性別変更老化加工

上の4枚の写真は全て僕の顔をFaceAppというアプリで加工したものだ。見て分かるように、若返らせたり、老化させたり、さらには性別を変更したりと自由自在だ。

従来、肌を若返らせたり老化させるだけでも、Photoshopを使って、それなりにレイヤーを重ね、フィルターを組み合わせたりして、手間とテクが必要な作業だった。つまり、こんな事はPhotoshop職人と言われる人たちの領域で、一般に誰もが出来る事ではなかったのだ。

ところがFaceAppを使えば、グラフィックソフトの知識なんか皆無でも、簡単に、しかも一瞬で誰でもこんな加工が出来てしまうのだ。

これだけ簡単に誰でもできてしまうのだから、こういった写真はSNSなんかでも多く使われていることが推測される。少し悪意を持って使えば、僕のような50代のオッサンが1枚目と3枚目の写真を利用して若い男の子や女の子に成りすますことができる。しかも、アプリを使えばプロフィール写真だけでなく、日常的に投稿する写真も全て若者になることが出来るから信憑性もあがるわけだ。

こういったアプリが一般にしかも無料で出回っている以上、SNSに掲載されているプロフィール写真を馬鹿正直に本人そのものとして見る人も少ないのかもしれない。しかし、成りすましの50代のオッサンとSNSで友達になり、やり取りをする中で、親近感や恋愛感情を抱き始めれば、おそらく、その人の中では写真は本人そのものになっていってしまうだろう。

実際に、海外でのそういった手口の詐欺行為なんかは、よく耳にする。

上の動画は、Refaceというアプリを使って、パイレーツ・オブ・カリビアンのジャック・スパロウの顔を僕の顔と入れ替えたものだ。こんなふうに動画も、顔を誰でも簡単に入れ替えたりすることができるアプリが一般に無料で出回っているし、さらに精巧なものを作るソフトも出回っている。

上の動画は誰が見てもフェイク動画だと分かるだろう。
しかし今、ディープフェイクといって、顔写真のデータを人工知能(AI)に大量に学習させて作る偽動画が問題になっている。これは映像だけでなく音声までも合成することができてしまう。

現状ディープフェイクはポルノ映像の顔をハリウッドの俳優や女優の顔と入れ替えたフェイクポルノが圧倒的に多いようだけれど、政治家や著名人の発言などのディープフェイクもあり、社会的な影響が大きい。

 

オバマ元大統領がトランプ大統領(当時)を「完全なばか者」と罵倒したり、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグCEOが「何十億もの人から盗まれたデータを、1人の男が管理する世界を想像してみて」と語り掛けたりする偽動画も存在。国内では昨年10月以降、芸能人のフェイクポルノを配信した男らが名誉毀損(きそん)容疑などで逮捕される事件が相次いだ。

JIJI.COM
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021050400388&g=soc

 

アメリカでは既に大きな社会問題になっているようだけれど、日本でも徐々にこういった映像や写真が出始めているようだ。

ディープフェイクは技術の向上とともに、その映像が本物なのかフェイクなのか見分けがつかない精巧なものになってきている。そして、ディープフェイク作成ソフトと、それがフェイクかどうかを判定するためのソフトの開発のイタチごっこになっているのが現状だ。

政府要人等に好きな発言をさせる動画が作れるのだから、恐ろしいことだ。フェイク判定ソフトがあっても、ひとたびそういった動画が投下されれば、デマが広がるスピードの方が早いだろう。

デマは、もっともらしい事や、人々が不安を抱えている内容に関してのものは広がりやすい。だから、厚生労働大臣が記者会見で「コロナのワクチン接種を行うと1年後にゾンビ化する可能性があることが分かりました!」なんて発言しているフェイク動画を作成しても、それは面白動画くらいにしか皆思わないだろう。でも、

新型コロナワクチン接種後の死亡として報告された事例の概要
https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000778304.pdf

なんていう厚生労働省の資料とともに、厚生労働大臣が「ワクチン接種の危険性を隠蔽しろ!」と指示しているフェイク動画を作成して投下すれば、デマとなって拡散され、大きな社会不安を引き起こすだろう。ちなみに上の厚生労働省の資料は死亡事例とワクチン接種との因果関係は認められないという内容になっているが、いったんフェイク動画が広まれば、それさえも、隠蔽のための資料として捉えられ、事態収拾に時間がかかるようになる可能性だってある。

実際に、アメリカではフェイクによる深刻な事態が起きてきているわけだから、日本でも対岸の火事とは言っていられないだろう。

我々は今、技術の進歩により何が本当で何が嘘なのか見分けるのが難しい時代に生きていることを、それぞれが自覚しなければならないだろう。

バイアスによる自分自身の判断への影響をよく認識し、自分の判断が論理に影響されやすいのか、感情に影響されやすいのか、言葉や権威に影響されやすいのかといった、自分自身の思考判断の癖をよく認識する必要があると思うのだ。

その為には、我々は自分の思考判断の癖を意識しながら、日々、学び続けることが大切だと僕は思っている。

異文化理解

異文化理解と日本人

暫く前のYAHOOの記事に以下のようなものがあった。

 

クルド人が入管法案反対 難民申請3回で送還対象「人生終わる」

政府が今国会に提出した入管法改正案に反対するため、埼玉県川口市で暮らすクルド人ら約80人が18日、同市内で記者会見した。現状は難民申請中であれば送還は停止されるが、改正案では3回目以上の申請者を強制送還の対象にしている。この日は、すでに3回以上難民申請し、送還される可能性が非常に高い人も多く参加し「帰ったら弾圧される恐れがある。私たちを助けてほしい」と切実な思いを訴えた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/34557dee91835a7fcdb160acfade2dda249ddb0b

 

日本は1981年に難民条約に加入しているが、難民受け入れに対する政治的な意思が十分にないのが現状だ。難民の受け入れに対しては、さまざまな意見や考え方があるだろう。しかし、外国人の人権を守ることに対する、日本社会の意識の希薄さは否めない。と言うより、それに関心が無いというか、気付いていない人が多いのが現状のような気がする。

僕は日本人だし日本に住んでいることが当たり前だ。ところが、Facebookを通して海外から僕を訪ねて来てくれた人たちと話していると、この感覚が我々に比べ極めてあいまいなことを感じる。マレーシア人だと言うから、当然マレーシアに住んでいると思って会ってみると、住んでいるのはアメリカだったり、オランダ在住のオランダ人という言うから、ゲルマン系だと思って会ってみると、人種的にはペルー人だったりスコットランド人だったりする。今SHIN MICで一緒に仕事をしているイタリア人にしても、イタリアでは大学を出ても、まともな仕事になかなかありつけないから、皆、海外に出ていくのが当たり前だなんて言っている。彼らの国境をまたぐ感覚は我々の県をまたぐくらいの感覚なのかもしれないと想像してみたりする。

多くの国では異文化に触れたり異文化に飛び込むことが当たり前であるのに対し、日本ではまだ異文化に接することは特殊なことなのかもしれない。その辺が外国人の人権を守ることに対する無関心さに繋がっているのかもしれない。

 

昨今の教育現場では、グローバル教育だとか、国際交流、異文化理解といったような言葉が並べられることが多い。僕が勤めた学校でも、そんな言葉が振り回されていた。しかし、せいぜい文化的な違いを知るところまでで、理解しようという姿勢がないのだ。その証拠に外国人の教員や留学生対して、二言目には「ここは日本だから・・・」を連発してしまう。つまり、日本文化や日本社会の価値観の押し付けをひたすらやってしまうのだ。日本の価値観では「郷に入っては郷に従え」だ。ところが、「郷に入っては郷に従え」を良しとする国の人たちもいれば、とても屈辱的なことと捉える国の人たちもいる。ところが「ここは日本だから・・・」を連発する人たちは、他の価値観があることが分からないから、ひたすら本人によかれと価値観の押し付けをやってしまい、屈辱的な思いを与えることになるケースがあるわけだ。一般の学校と違い、インターナショナルスクールなどでは、この辺りのことがよく分かっていて配慮されているようではあったけれど。

 

異文化の洗礼

僕が初めて異文化の洗礼を受けたのは大学4年生の時だ。配属になった研究室には大学院生として留学してきていたタイ人女性がいた。研究室配属になってすぐに気づいたのが、彼女がよく机に伏せてシクシクと泣いている姿だ。どうしたのかと声をかけると「日本人はみな私に冷たい」と言う。たしかに観察してみると他の大学院生は、どことなく彼女に対してよそよそしいし、時としてきつめの言葉を浴びせているところを目にすることもあった。僕は可哀そうに思い、積極的に彼女に声をかけることにした。すると「あなただけは優しい」とか「弟みたいでかわいい」とか言い出し、仲良くなった。しかし、2ヶ月も経った頃、なぜ皆が彼女によそよそしいのか、その理由が僕にも分かってきた。

当時、オーバーナイトと言って、夜中まで研究室に残り実験をすることがあった。彼女は日本の大学を出ているわけではなかったためか、化学的な知識に乏しく、実験手法の化学的な意味合いが理解できていないことがあったため、たまに頓珍漢なことをすることがあった。彼女がオーバーナイトで実験をしている時、当然、僕は家に帰って寝ている。そして、午前3時とか4時に彼女から電話がかかってきて起こされるのだ。「実験が分からなくなった!いますぐ来て教えて!」当然行くわけもなく「何時だと思ってるんですか!寝ます!」と言って、いつも電話を切っていた。次の日に彼女に文句を言うとキョトンとした顔をしている。仕方なく実験の説明をすると「分かってるのに、なぜ、来てくれなかったのか?」と言い出す始末だ。これでは、付き合いきれない。

そして事件が起きた!

彼女が引越しをするから手伝ってくれる人を集めて欲しいと言ってきた。僕は学部中を飛び回ってお願いして、人を集めた。そして彼女が指定した場所と時間に皆に集合してもらった。ところが肝心の彼女が現れない。集まってくれた人たちも「せっかく時間とってここままで来たのに、どうなってるんだ?」と言い出すし、僕はみなに謝りながら、ひたすらもう少し待ってくれるようにお願いした。指定時間から30分を過ぎ、これ以上は無理かと解散しようと思ったところに、数人を引き連れて彼女が現れた。
そして開口一番

「はやく、はやく、こっちに来て!」

なんじゃ、そりゃ!

「みんな貴重な時間を空けて、手伝いをするために、わざわざここまで足を運んでくれてるのに、30分以上待たせて、まずは、ごめんさい!じゃないのか!!」

と僕は彼女にくってかかった。

すると彼女と一緒にやってきた他学部の大学院生を名乗る男に

「君は彼女と同じ研究室なんだろ!?彼女の国と日本とでは文化も違うし、そういうことが理解できないの?同じ研究室なら、そんな文句を言っていないで、まずは文化の違いを理解しないとね!!」

と、逆に僕が怒られた。これがまた、赤いバンダナにサングラスといういで立ちで、いかにも国際通みたいな雰囲気のキザっぽい感じがして、「お前に、そんな事を言われる筋合いはねー!」と僕はブチ切れ、このあと彼と大喧嘩になったのだ。笑

当時の僕は彼女の夜中の電話にも耐えて、研究室の中では一番仲良くしていたつもりだし、彼女のためにあちこちで頭を下げて人も集めたわけだから、赤いバンダナの男の言葉は不条理そのもので、怒りが爆発したわけだけど、今になって考えてみれば、彼の言葉は正しい。当時の僕は国や地域が違えばアイデンティティーが変わってくることを理解していなかったのだ。これについては、また、探求の教室で詳しく取り上げたいと思っている。とにかく異文化理解ってのは言葉で言うほど簡単なことではないのだ。

 

異文化理解

よく外国人は契約にうるさいから外国人に対しての契約書はしっかりと全て書いておかないと!みたいなことが言われる。このことは、多くの人が知っていることであると同時に、この言葉を言うとき、どこかに「ケチ」とか「めんどくさい」とか「協調性がない」という感情があるのではないだろうか。しかし、彼らの心の中にはちょっと違う感情がある。

例えば就業時間は17:00までだが、社内で大きな催し物があって、時間がオーバーしちゃったけど、皆で頑張って17:30にはなんとか終わったとしよう。日本人的には、なんとか無事に終了してよかった!お疲れ様でした!って話だけど、外国人(国や地域による)だと、表に出さなくても、心の中では大きな怒りを抱えているケースがある。表に出せば日本社会では「協調性がない」ということで白い目で見られることになるから、彼らも皆の前では表には出さないけれど。仮に17:00に彼らだけ時間通り帰したとしても、やはり、彼らの心の中には怒りが渦巻く。彼らにしてみると自分だけではなく、他の人も就業時間を過ぎても当たり前のように仕事をしている体制に怒りを感じているのだ。これを繰り返すことによって彼らは自尊心を傷つけられ、消耗していく。

これは彼らにとっては倫理の問題なのだ。契約の時間を過ぎてサービスで働くことは理由は何にしろ、彼らにとっては、それは、してはならない悪いことなのだ。つまり、悪いことをしている自分に対して良心の呵責があるわけで、さらには、その悪いことに対して、誰も異を唱えることもなく受け入れているということに怒りを感じるのだ。しかも、この良心の呵責は日本人には理解されないから、彼らにとっては、よけいに行き場のない怒りとストレスになっていくのだ。

「外国人は契約にうるさい」というのが異文化を知っている事であり、「良心の呵責」という感情を知る事が理解することだ。理解をしたうえで、どうしていけばよいかという事を考えなければならないと思うが、日本社会では「外国人は契約にうるさい」というところで終わってしまっているケースが多いのではないだろうか。

 

日本は少子高齢化が進んでおり、移民を受け入れて大国としての地位を保つのか、人口減少を受け入れ、アジアの小国への道を歩むのかという岐路にある。そんな中、国は移民の受け入れに舵を切りつつあるようだ。その為には、難民も含めて、外国人に対しての制度面を変えていかなければならないだろう。そして、その制度を変えていく時に必要なのが、異文化に対する理解だ。異文化理解とは、違いを知るだけではなく、その背後にある感情面を理解して考える事だと僕は思う。

SHIN MICの教室では語学を通して、本当の異文化理解にまで踏み込んでいきたいと考えている。