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Archive: 2021年3月10日

Effective English Language Acquisition

Hello!

I have just finished uploading my first course called “Effective English Language Acquisition”.

In this course I summarized what I have learned in my years of learning and teaching languages.

The course is in English, but as the intended audience is Japanese ESL learners, we hope to be able to provide a translation as well.

Meanwhile, I hope you enjoy the course!

Feel free to leave a comment for further clarifications,

 

Have a nice day,

 

Jessica

「福寿草と座禅草」・植物は偉大!

僕が住む安曇野では、今、福寿草(フクジュソウ)が咲き誇っている。福寿草は名前の通り、福と長寿を招いてくれるおめでたい花として、古くから日本では親しまれている。冬の間、白だったり茶色だったりのモノトーンな風景の中に、鮮やかな黄色で出現する様は、たしかに目出度い感じがする。

鉢植えや庭植えをする人も多いが、実は福寿草が猛毒であるという事を知っている人は案外少なかったりする。致死量から考えると、かの有名なトリカブトより、はるかに毒性が強いということになる。トリカブトと違って福寿草の場合は解毒剤があるらしいけれど。

以前、とある高級な懐石料理屋さんで、庭に様々な山菜を植えて栽培し、それを採取して食材にしているの見かけた。よく見ると山菜に混じって福寿草も一緒に植えられているではないか。知らなかったらまずいと思い注意喚起をすると、福寿草って毒のなのかと驚いていた。こんなお店やさんで、採取の際、山菜に福寿草が誤って混じってしまったら、大ごとだ。

 

この季節に咲き始める植物で僕が楽しみにしているのが座禅草(ザゼンソウ)だ。座禅草は同じサトイモ科の水芭蕉と似た雰囲気がある。しかし花は水芭蕉と違って、形状がずんぐりしていて色合いも下の写真のような感じだ。水芭蕉の爽やかな雰囲気とはずいぶんと違っている。この形が僧侶が座禅を組むイメージに似ていることから、この名になっているわけだ。僕はあまり感じたことはないが、全草に悪臭があるため英名はスカンクキャベツと言うらしい。この悪臭でハエとかをおびき寄せて受粉の助けにしているわけだ。

座禅草は、僕が住む地域では、大町市や白馬村の湿原や湿地帯で目にすることができる。いつだったか山に餌が少なかった年に白馬村では、座禅草が熊に食べられてしまったなんて記事を目にして、こんなものでも熊は食うのかと、驚いたことがあった。

実は座禅草は、自ら発熱して雪を溶かして顔を出してくる。しかも発熱温度は25℃にもなるんだとか。その発熱メカニズムの詳しい事は未だに分かってないそうだ。何気に座禅草は不思議植物なのだ。この座禅草の発熱制御アルゴリズムが岩手大学で研究されて、工業で一般的に使われるPID制御よりはるかに優れたものである事が分かった。既に実用化に入ってるらしいが、この先、一般的なものになるのだろうか?
いずれにしてもザゼンソウ制御は効率的で、かなり省エネなんだそうだ。自然は偉大だ。

身の周りの植物に目を向けてみよう!

僕は福寿草が猛毒であるということを知った時は驚いたし、座禅草が発熱して自分で雪を溶かして顔をだすということを知った時は、自然て偉大だ!と感動した。

実は身の周りの植物って調べてみると、なかなか面白い。道端に生える雑草も調べてみれば、食べられるものだったり、ハーブになったり、麻薬成分を含んでいたり、薬草だったりと、とても興味深いものが、かなりある。

大抵の人は草なんか興味がないから、おそらく道を歩いていても意識の中にすら入ってこないと思う。でも少し分かれば、普段歩いている道にも全く違った世界が見えてくる。

観賞用の植物だって調べてみると随分と面白い。なかにはKGBがかつて暗殺用の毒物として使用したものの原料の植物だったり、麻薬成分があるものもあったりと、随分と見え方が変わってくる。

そんな植物を調べていると、必ず、それは歴史や社会問題に繋がってくるから面白い。つまり身の周りの植物を少し調べるだけでも、随分と自分の世界は広がってくるのだ。

植物に限らず、身の周りの、普段当たり前にスルーしているものを意識して調べてみるだけでも世界は随分と広がるという事だ。世界が広がるという事はそれだけ視野が広くなるから、自分の人生に転がり込んでくるチャンスも多くなるし、なによりも人生が豊かになる。

是非、身の周りのものに好奇心の目を向けてみて欲しい。それだけでも得られる学びは無限に広がるのだ。

デマと陰謀論

デマと陰謀論-SNSとエコーチェンバー現象

「第5世代(5G)移動通信システムが新型コロナウイルス感染拡大に寄与している」

これは昨年の春、ヨーロッパを中心に飛び交ったデマだ。5Gとコロナは関係ねえだろ!と普通はそう考える。でも、このデマは当時猛威を振るい、イギリスなどでは電波塔が何ヶ所も放火される事件にまで発展した。

世界にはあらゆる陰謀論やデマが溢れている。これらはSNSを通して拡散し、もはや何が真実で嘘なのかも分からないような状態だ。しかも我々はどういうわけか、こういった陰謀論やデマが大好きだ。だから、こういったものとは一線を画し、自分は理性的だと思っている人も、一つや二つは何らかの陰謀論やデマを信じてしまっている可能性がある。もちろん、今ここで、こうして書いている僕自身も含めてだ。

日本の国家破産論

以前、僕は日本の国家破産論に夢中になったことがあった。
大学を卒業したての頃、日本の巨額の財政赤字を知り「えっ、やばいじゃん!」と思ったことを記憶している。その時は、その程度でスルーしてしまったが、それから20年近く経った2009年頃、ネット上で日本の国家破産についての記事を目にすることがあった。日本の財政赤字は、大学卒業したての頃に見たものとは比べ物にならないくらいに膨れ上がっており、「いよいよ、マジでやべぇんじゃねえのか!」と危機感を抱いた。

そこから僕は日本の財政赤字がどの程度ヤバいのかを調べ始めた。実はこの時点で既にバイアスがかかっている。ヤバい情報ばかりを集めてしまうからだ。調べていく中で、当然、「日本の財政赤字は問題ない」という情報も目にするが、どの程度ヤバいのかという視点で調べ始めているから、目にしても意識の中には入ってこない。ところが目にしたことによって、それについて、しっかり考える事もしていないにも関わらず、反対意見も十分に検証した気分になってしまっていた。

当時は、識者と呼ばれる人の中にも日本の国家破産を声高に叫ぶ人がいたし、書店には国家破産本が並んでおり、ネット上には国家破産が起きた場合の惨状について書かれたものが氾濫していた。こうした情報を吸収する中で日本の国家破産は自分の中では既定路線になり、あとは、それが「いつ起こるのか?」だけが問題になっていった。

 

国家破産が起きた場合、程度の差こそあれ、起こることはある程度決まっている。

・インフレ率の急上昇
・通貨価値の下落
・長期金利の上昇

当時の僕はこれに備えるための手段を調べ、いくつか実行に移していた。お陰で金融関係の知識を得ることができたが、こうした行動に移すことによって、近い将来、国家破産が起きるという考えはより強固になり、思考が偏っていき、自分の中で国家破産は起こるべきものになっていった。

実際に公平に情報を仕入れ、仕組みがよく分かってくれば、現在の日本の状態で、そんなに簡単に国家破産なんて起こるわけがないことが分かる。もちろん、何かの要因によって、ずっと低金利に抑えられている長期金利が急激に上昇を始めれば危機的な状況に陥るから、全くあり得ない話ではないけれど、巨額の財政赤字があるから国家破産が起きるってのは、かなり乱暴な考え方だと思う。

 

僕が国家破産論にのめり込んだ流れは、デマや陰謀論を信じていく流れによく似ていると思う。「えっ、そうなの!?」「えっ、ヤバいじゃん!」といったところから、バイアスがかかった状態で情報を仕入れ、やがて考えは強固になり、信念めいたものに変わっていく。最終的に、デマや陰謀論が否定されることは自分自身のアイデンティティーを否定される事と同じような感覚に陥っていくのだ。

SNSとエコーチェンバー現象

いまやSNSによって24時間どこにいても世界中の人とコミュニケーションをとることができる。一瞬で地球の裏側の人とまで繋がれて、場合によっては本当に友達になり、付き合いが始まることもあるわけで、SNSはとても開かれた空間のように感じられるが、実際のところどうだろうか?

例えば、僕はよくFacebookに自分が住んでいる安曇野の綺麗だと思った風景写真を投稿する。すると「きれいですねー。」とか「行ってみたい!」といった共感のコメントがつく。人に共感してもらえることは嬉しく楽しいから、また、投稿する。もし「つまらない写真を載せるな!」なんてコメントが付けば、僕はその人をブロックするだろうし、そもそも、そう思った人は、わざわざコメントなど書かずにスルーしていくはずだ。つまり、僕の投稿にはある程度僕と同じ感性を持ってる人が集まってきているわけだ。

そう考えると、様々な国の人や老若男女と幅広くコミュニケーションがとれるようでいて、かえって感性的には実社会より狭い範囲の人とのコミュニケーションになっているのかもしれない。

さらにグループなどになれば、一定の信条だったり趣味だったりと、共通したものを持つ人の閉鎖された空間になってくるから、そこでの投稿はさらに共感が得られやすくなってくる。グループ内では、自分と同じ意見がたくさん寄せられ、それを見聞きし続ける中で自分の意見や考えが増幅・強化されていく。こういうのをエコーチェンバー現象なんて言う。

上で書いた日本の国家破産の話も、それについての掲示板を読んでいくうちに、自分の中で考えが強化されていった部分もかなりあったと思う。

これが陰謀論などをSNSのグループ内で話すような場合は、エコーチェンバー現象によって信念に変わり、さらにはアイデンティティーにまで高められていくことが容易に想像ができる。特定のグループで、エコーチェンバー現象が起きる場合、そのグループは自分の外部に置いたアイデンティティーと言ってもいいかもしれない。

 

 

ひとたびデマや陰謀論が自分自身のアイデンティティーにまで高められてしまうと、他人の反対意見が受け入れられなくなってくるのはもちろん、自分自身でおかしいと気づいても、それを否定することが難しくなってきてしまう。

しかしながらデマや陰謀論にも一定の真実が含まれていることがあるから、その背景を調べてみる事は大切だ。「えっ、そうなの!?」という、にわかには信じがたいけれど真実味を帯びていると感じた情報を調べる時は、自分自身の中にそれを信じたい衝動がないか、正当化する情報だけを熱心に見て否定する情報を軽く受け流していないか、さらにSNSから情報を受け取っている場合は、エコーチェンバー現象の罠に嵌ってないかを、本当に冷静に自分に問いかけながら調べていく必要がある。そうして一歩引いたところから、調べることが出来れば、デマや陰謀論からも多くを学ぶことが出来る場合がある。

そもそも我々はデマや陰謀論を好みやすい習性をもっているということを肝に銘じて、細心の注意を払って上記のようなことを意識して情報に対峙しないと、デマや陰謀論に飲み込まれてしまう。そのくらい、昨今のネット上の情報は、何が真実かを見極めるのが難しくなってきているのだ。

天蚕の真綿を作成

小学生からの手紙-カイコと天蚕

何年か前に近所の小学校の総合学習の時間にカイコとヤママユガについてお話をさせてもらった事があった。後日、小学生からお礼の手紙をもらったわけだが、そこにはたくさんの質問が書かれていた。

昨日、たまたまパソコンの中を整理していたら、その時の質問に答えた僕の返事の文章が出てきた。改めて見返してみると小学生の質問の鋭さに驚かされる。大人になると、こういった鋭い質問ってなかなか出てこないようになってしまう。

その事について書く前に、まずは家蚕と野蚕、そしてこの地域の天蚕飼育について簡単に書いてみたい。

家蚕と野蚕

シルクを吐き出す虫と言えばカイコが思い浮かぶと思うが、カイコ以外にもヤママユガの仲間の繭からもシルクが生産されている。中国や東南アジアなんかでは、今では少なくなっているとは思うが、ヒマサンやシュンジュサン、サクサンといったヤママユガの繭からシルクを生産している。カイコは家の中で桑の葉や人工飼料を与えて飼育するのに対し、上記のヤママユガの仲間は基本的には野生のものである。そのため、カイコを家蚕(かさん)、ヤママユガの仲間でシルクを作り出す虫を野蚕(やさん)と呼んでいる。
アニメの蟲師の中に山の中に入って繭をとる場面があったが、あれは野蚕つまりヤママユガの仲間の繭ということになる。

天蚕(てんさん)飼育

上記のヤママユガの中に日本固有種の天蚕(てんさん)と呼ばれる虫がいる。
天蚕はクヌギの葉を食べて、下の写真のような黄緑色の繭を作り、生糸も渋めの緑がかった独特の色をしている。天蚕糸は繊維のダイヤモンドと言われ、カイコのシルクの上をいく最高級シルクだ。

天蚕の繭

天蚕糸

天蚕糸はとても高価なシルクなので、現在では、高級着物の模様部分だけに使ったりする程度のようだ。天蚕糸だけで着物を一着作ったら、田舎だと家が建つくらいの金額になるのかもしれない。現在では全国でも、実質、天蚕糸の生産地と呼べるのは、長野県安曇野市穂高の有明地区のみではないかと思う。

小学生と天蚕

日本で唯一と言ってもいい天蚕の生産地区である有明地区の小学校には、天蚕の飼育施設があり、小学生が天蚕飼育を体験する。そして小学校を卒業する時に天蚕の繭でコサージュを作り、感謝を込めて、それを親に送る。そして親は下の写真のように、そのコサージュをつけて小学校の卒業式や中学校の入学式に出席する。なかなか素敵な伝統だ。

天蚕のコサージュ

小学生の質問

上記のような背景の中、僕が話をしたクラスではカイコ(家蚕)も教室で飼って観察をしていた。僕は家蚕と野蚕の違いから始まって、カイコの実験動物としての側面や昆虫ホルモンなんかの話をそのクラスで行った。その時の子供たちのキラキラと光った目は印象的で今でも憶えているし、あの光の奥にあるものは、まさに宝物だと思う。

以下は生徒たちが送ってきてくれた手紙にあった質問に対する僕の当時の回答だ。

 

カイコの由来は?
教室でもお話させてもらいましたが、元々はクワゴという野生のカイコの先祖を長い時間をかけて品種改良したものだと言われています。これが定説になっていますが、クワゴの繭は小さく、とても絹糸がとれるようなものではありません。
クワゴに比べると、ヤママユガの仲間は品種改良しなくても、絹糸がとれたわけですから、わざわざ、絹糸がとれないクワゴから品種改良をしてカイコを作ったというのは、不自然なので、今では見られなくなってしまった別の種類の虫からカイコが作られたのではないかという説もあります。

■若返りホルモン(幼若ホルモン)でどこまで大きくなるのか?
大昔の記憶なので、あまり確かではないかもしれませんが、天蚕の5齢幼虫よりも少し大きくなったような記憶があります。でも、最終的に繭は作れずに幼虫のまま死んでしまいます。
ちなみに、カイコはたまに2匹で一つの繭を作る事があります。とても大きな繭になりますが、よい絹糸はとれないので、養蚕農家では、売り物にならない繭として処理されていたと思います。

■縛ってもなぜ死なないのか?
逆に言えば、死なない程度に縛るって事になります。でも、かなり細く縛っても大丈夫です。その細いところを通って、いろいろなものが流れていると思います。脱皮ホルモンと若返りホルモンのバランスで、脱皮したり、しなかったりします。だから、縛っても、脱皮ホルモンが全く流れていかないわけではなく、その量が少なくなるために、脱皮が起こらなくなるという事だと思います。

■どうして人が世話をしないといけないのか?
この前もお話しましたが、カイコは足の力が弱いので、野生では木につかまっていられません。つまり自分ではエサを探して木の上を動けないわけです。だからエサを人にもらわないと生きていけません。つまり、人の世話なしでは生きられないってことです。

■目のような模様は何か?
実はあの模様が無く、白く、のっぺりしたカイコもいます。あの模様は昔の野生時代のなごりで、鳥が目玉模様を嫌うので、鳥から身をまもるためのものと言われています。現在のカイコには必要ないものかもしれませんね・・・。

■なぜ桑の葉しか食べないのか?
簡単に言うと、カイコは桑の葉が好きだからです。正しくは、桑の葉にはカイコの嫌いな臭いが無いっていうことです。でも、桑の葉以外にも、和紙の原料になるコウゾや、ツリガネニンジンの葉なども食べるようです。でも、桑の葉以外では、いい繭は作らいそうです。最近では、品種改良されて、リンゴの実を食べるカイコもいるようです。もちろん、リンゴの実だけでは、まともに育ちません。

なかなか鋭い、いい質問ばかりだ。
この後、子供たちは昆虫ホルモンの実験のためにカイコを縛り、何頭か失敗して殺してしまったようだけれど、その好奇心に突き動かされて実行する行動力も素晴らしいものだと思う。

 

この子供たちの中から将来、養蚕家を志す人が出てくるってことはないだろうし、昆虫生理学を志す人が出てくる可能性だって極めて小さい。そして、カイコについて学んだことが直接なにかの役に立つこともないだろう。でも、子供たちは、そんな事はカケラも考えていない。今、目の前にあることに純粋に好奇心を抱き、行動し、楽しんでいる。

これが大人になると、なかなか出来ない。現在の生活や仕事に役立つのか、将来的に役立つのか、そんなことに捉われて、純粋に好奇心を抱き、それを満たすことを忘れていってしまう。

これが忘れていってしまうだけでなく、中学生、高校生になるにつれ、周囲の大人は受験等の結果につながる好奇心のみを推奨し、本当に純粋な好奇心を潰すような言動を始めてしまうことが多々ある。学校現場なんか、それが顕著なのではないだろうか。もちろん、そういった言動をする大人たちは、それに気付いていない。

大人になっても純粋な好奇心を持ち続けている人ってのは傍から見ても魅力がある。僕がカイコの話をした時に子供たちの目の中に見たキラメキを大人になっても持っているからだ。そのキラメキに人は惹かれるのだ。

純粋な好奇心っていうのは人生を豊かにするものであり、創造の種だ。だから、僕は純粋な好奇心を忘れてしまった大人に、それを取り戻して欲しいと願っている。そのためにも学び続けなければならない。

今後、そんな純粋な好奇心を取り戻してもらう、きっかけとなるようなワークショップを提供できたなら、こんな嬉しいことはないと思っている。