ドル円が2015年6月の124円を天井にそれ以降、巨大な三角持ち合いを形成している。そして、ちょうど今現在、その巨大な三角持ち合いの突破をチャレンジしているところだ。ドル円の上下動のサイクル的にも、僕はこの三角持ち合いを突破する可能性の方が高いと思っている。
個人的にはスミソニアン体制以降、約40年続いた円高は2011年10月の75円台で終了したと考えている。だから、今後、上下しつつも基本的には大きな流れとして円安方向に向かっていくのではないかと想像している。つまり、現在の巨大な三角持ち合いを上方に突破すれば、上下動はあっても最終的に124円を上回っていくんじゃないかと想像している。
2015年6月からの円高傾向は終了し、暫く円安傾向に変わっていくのではないかと感じている。これはテクニカル分析とかファンダメンタルズとかではなくて、チャートの雰囲気から、なんとなく僕が感じているものだ。もちろんテクニカル的にもファンダメンタルズ的にも分析すれば、様々なことが言える。でも、その分析は絶対ではない。外れることも多いのが相場というものだ。論理を超える「なんとなく」の記事でも書いたが、少なくとも僕の場合は、最後の決め手は「なんとなく」だ。
その「なんとなく」が今後、数年は円安傾向になるんじゃないかと僕に言っている。
チャートを見ていて感じることだが、値動きについて専門家が様々な分析を行うが、所詮、相場は相場の動きたいように動いていることを感じる。変な話だけれど、相場が動きたがっている方向性が感じられた後に、その方向に動くための社会の動きや事件があるように僕には感じられるのだ。
日本経済にとって円高が良いのか、円安が良いのかは議論が分かれるところだ。もちろん極端な円高、円安はよろしくない。ただ、これまでの感覚では円安傾向にあった時の方が経済的には良かったような気が僕はする。
今後、暫く円安傾向にあるとすれば、過去の肌感からは日本経済は比較的良いはずだ。もちろん、極端な円安になれば話は別だけれど。だから、今、コロナの第4波が言われたりしているけれど、なんとなく、今年はコロナも収まり、人の往来も増え、日本経済は上向いてくるんじゃないかと思ったりする。もちろん、これには僕の願望も入っているかもしれないけれど。
相場の動きに関しては、穴が空くほどチャートを眺め、幾つも線を引いて分析して判断を下すよりも、僕の場合は少なくとも「なんとなく感じる」ってのに従うのが一番確かだ。そして、相場が動きたがっている方向を感じると、それに合わせるような実社会での動きが出てくるってのが僕の感覚だ。
これはあくまでも「なんとなく」であり感覚的なものだから、そこに論理性はない。でも、これが、案外当たる。この「なんとなく」はもちろん、さんざんチャートを眺めたから感じるものであって、初めてチャートを見た人が感じるものではない。つまり、経験によるものであることは確かだ。その経験というのが、過去の情報処理であるとするならば、それはテクニカル分析の範囲に入ってくるものだ。でも、「なんとなく」はテクニカル分析的な判断と逆を示すこともある。だから単純に過去の情報処理ではないだろう。
つまり、人は経験の中で、第六感と呼ばれるものなのか、なんなのか分からないけれど、論理の外側部分での学習を行っているのだろう。
分野が何であれ、この論理の外側で学習しているものは、人が生きていく上で糧になるものだ。だから、この「なんとなく」がどこからやって来るものなのか、今後、考えていきたいと思っている。
有料フォーラムの人生を豊かにする楽しい学び塾では、そんな事も、皆さんから例をあげてもらいながら、考えていきたいと思っている。