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セントラルドグマからの逸脱と甲羅干し休憩

Mar 26, 2021 学びの種
DNA

セントラルドグマとは分子生物学の中心教義とされるものだ。
遺伝情報はDNAからmRNA(メッセンジャーRNA)に転写され、mRNAが核内から細胞質に出て、細胞質内のリボソームに辿り着き結合する。リボソームにはtRNA(トランスファーRNA)がアミノ酸を運んでやって来る。tRNAはmRNAの情報を読み取り、リボソームの酵素作用によってペプチド、さらにはタンパク質が作られる。このDNAからタンパク質ができるまでの一連の流れがセントラルドグマと呼ばれるものだ。

ドグマと呼ばれるくらいだから、この一連の流れは細菌から人間にまで共通する基本原理とされてきた。

 

ところが、イカの神経細胞はこのセントラルドグマから逸脱していることが分かったそうだ。

Nucleic Acids Research
https://academic.oup.com/nar/article/48/8/3999/5809668

まあ、イカ、スゲー!って話なんだけど、我々一般人は科学的に正しいことが正しい、もしくは真実味があると感じる傾向がある。でも、このイカの話のように、科学的に正しいとされることも新たな発見や理論によって覆されていくことが多々ある。

かつて、ガリレオは裁判によって有罪を宣告され、地動説を放棄させられてもなお「それでも地球は回っている」とつぶやいたらしいが、今では本気で天動説を主張したら、「バカなの?死ぬの?」くらいの勢いで叩かれそうだ。正しいとされることが正反対になってしまったわけだ。

ところが20世紀後半になって、天動説を主張した日本人がいる。それが、薬師寺元管主で「昭和の怪僧」と呼ばれた橋本 凝胤(はしもと ぎょういん)だ。

 

橋本はスプートニク打ち上げのテレビ中継を報告に来た新聞記者の青山茂に「お前もとうとうソ連やアメリカの陰謀にはめられたな。テレビで見たいうけど、テレビで見たのがみなほんまやと思とるのか。テレビの向こう何もないやないか。実際に経験して見たこというとんやないやろ。ブラウン管に映ったり新聞に載ったりすることだけ信じてるのやが、そんなん、わしは信じやへん。」と戒めた。後年青山は「科学や教えられた事以外に別の世界があるぞ。と教えてくれのかも知れません。」と述懐している。

ウィキペディア

 

橋本 凝胤は、自分はお天道様が毎日自分の上を回っていくのを見ている。それでいいじゃないか!地動説なんか、教科書に書いてあるのを見ただけで、自分の目で確認したのか?と言っていたなんて話もどこかで読んだ記憶がある。ちなみに橋本 凝胤は東京帝国大学出身だから、少なくとも秀才さんだ。

言われてみれば、我々が正しいと信じている知識のほとんどが、自分で確認したものではない。上に書いたセントラルドグマだって、高校だったか大学だったかは忘れたけど、生物の授業で習っただけのもので、それを自分で実際に確かめたものではない。それでも、やはり僕はDNAからmRNAの転写や、そこからの翻訳を正しいこととして人に話している。

僕は、我々は実際に自分で確かめてもいないのに正しいことだと信じているものだらけであるということを、意識に留めておく必要があると思うのだ。

甲羅干し休憩

夏場、海水浴や炎天下での作業に出るとき「また、日焼け止め塗ってないんじゃないの~」とよく嫁さんに怒られる。

うちの嫁さんは紫外線は有害なものと認識しているから、太陽光をたくさん浴びるような場合の紫外線対策は必須だ。

ところが、僕が子供の頃の小学校の水泳の授業時間には「甲羅干し休憩」という時間があった。これは体温と体力の低下を防ぐためのものだったのだろうけど、「甲羅干し休憩」の間は、うつ伏せに寝転がって、ひたすら太陽の光を浴びて日に焼ける事が推奨された。当時は、なぜか、夏の間に日に焼けると冬になってから風邪をひかないと信じられており、とにかく日に焼けて黒くなることが健康の証のような風潮があった。夏休み中もプールに通い、せっせと日焼けに勤しんだことを憶えている。別に日に焼けなかったからと言って怒られることもなかったが、夏休み明けに日焼けして学校に行くと褒められたものだ。

嫁さんは僕の12歳年下なのだけれど、この「甲羅干し休憩」の話をすると、

「頭、大丈夫?」
「虐待レベルだよね!」

と「甲羅干し休憩」という単語もあってか、バカうけしていた。
ほんの10年くらいの間に世の中の認識が大きく変わったってことだろう。
良いとされていた事が、悪い事になってしまっていたのだ。

日本は同調圧力が高い社会

暫く前にレストランのレジに並んでいた時のことだけど、僕の後ろから人が詰めてきたので、半歩前に出たところ、前にいたおじさんに「ソーシャルディスタンス!」と厳しい口調で言われ、睨まれた。そんなに、くっついたわけじゃないし、そこまで神経質になるなら外食なんか、するなよ!って思いながらも「すいません」と謝ってはおいたけど。

日本は同調圧力が強い社会で「ソーシャルディスタンス」という言葉が出始めると、やたらと、その言葉が振り回され、少しでも、その言葉から外れた行動をすると、僕のように怒られてしまう。まあ、この同調圧力が強いからこそ、日本は治安が良かったりするのかもしれないけれど、その一方で、学校の中なんか密もいいところだ。ソーシャルディスタンスと書かれた貼り紙をあちこちに掲示しながら、体験入学なんかやろうものなら、外部からも人が入って来て、かなりの密だ。ところが、面白いことに、これは許されるのが日本の社会なのだ。検温もしているし、出来る事はやっているのだから、仕方がないと思うのか、誰からも苦情が出ない。これに関して、おかしいと主張しても、出来る事はやってるし、仕方がないってことでスルーされてしまう。

レストランの例も、下の学校の例も、話は逆だけれど、どちらもソーシャルディスタンスは感染を防ぐための対策という目的を考えると論理性を欠いている。少なくとも僕の中ではソーシャルディスタンスという言葉を様式化しただけの、ただの茶番だ。

考えることをせずに、周囲に同調することは楽なのだ。そして、社会的にも同調圧力が高いのが日本だ。学校の例は、先の大戦で無謀な戦争を延々と続けてしまった当時の政府の感性に近いものを感じるし、レストランのおじさんには、ちょっとしたことで、非国民!と周囲の人を突き上げていた人の感性と近いものを僕は感じてしまう。

上でも書いたように、正しいと信じられている事は、往々に覆されてしまう。天動説が正しいとまでは言わないけれど、それでも、実際に自分で確認したり考える事を意識して、それをすることは、とても大切だ。

同調することは、ある意味楽だし、同調圧力のメリットもあるけれど、日本はそれが高い社会である以上、より一層、自分で確認し、考える事が大切だと思うのだ。

絶対的な正しさなんて無いのだから。

YUICHI KOBAYASHI

YUICHI KOBAYASHI

ちょっとした意識の持ち方で自分の世界は大きく広がります。人生を豊かにする楽しい学びをしていきましょう!!

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