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3.11大川小学校–魂で学ぶ学び

Mar 11, 2021 学びの種

3.11から早くも10年。黙祷。

今日はネット上でも、あちこちで3.11関係の記事を見かけた。SHIN MICの学びの種-アンテナにも、次のような記事の見出しを見つけ、開いてみた。

 

【悲報】小学生「津波が来る?裏山に逃げよう」 聡明な教師たち「動くなボケ!!」

記事を開くと以下のような記載があった。

 

・帰りの会の前後に地震発生
・校長は年休をとって不在
・教師A(教職員の中で唯一の生存者)が校庭に出ろ山に逃げろと叫び、それを聞いた児童たちが裏山に駆け出す
・別の教師が怒鳴り無理矢理引き戻す
・「山さ上がろう」「俺たち、ここにいたら死ぬべや」「先生なのに、なんでわからないんだ」と教師に食ってかかる児童たち
・グラウンドから裏山まで140m、40〜50秒
・裏山は緩やかな傾斜でシイタケ栽培など児童たちも普段から登り馴染みがある
・遠方児童のためのスクールバスがエンジンをつけて待機している
・スクールバスには詰め込めば児童全員乗れないこともない
・点呼を終えても余震の中で児童をグラウンドに座って待機させ続け議論する教師たち
・裏山に逃げる派(教頭・教師A)と津波は来ない学校は安全派で対立
・避難してきた周辺住民も加わり、津波は来ない川の堤防(三角地帯)に逃げる派(釜谷区長)も対立
・たき火の準備をする
・防災無線からの6m大津波警報を聞いている
・広報車からの大津波警報を聞いている
・迎えに来た保護者たちから大津波警報のことを聞いている
・迎えに来た保護者たちに教師が「学校のほうが安全」「帰らないように」「逃げないほうがいい」と伝える
・保護者とともに避難した児童は助かる
・避難する市民から津波が来るぞと聞いている
・「大丈夫だぞ」「こんなところで死んでたまるか」とグラウンドで励まし合う児童たち
・約50分もグラウンドに待機し、津波到達1分前に避難を開始する
・避難先はなぜか裏山ではなく三角地帯に教頭が決定、なぜか最短ルートではなく逆方向から出発
・避難中に津波に飲み込まれ、それを見て急いで山に駆けた後列の児童は助かる
・避難先の三角地帯は完全に津波に飲み込まれ避難が完了しても助からなかった
・地震発生から津波到達まで51分ありながら児童たちは1mも高い位置に移動できなかった
・児童108人中74人死亡、教職員10人死亡、スクールバス運転手死亡
・近隣の学校では地震直後に高台へと避難しており犠牲者ゼロ
・教育委員会が生存児童からの聞き取りメモを廃棄して嘘報告書をでっち上げ

VIPPER速報
http://vippers.jp/archives/9664408.html

 

これは大川小学校の話だろう。
大川小学校では津波により全校生徒108人のうち70人が命を落とし、4人が今も行方不明で、教員も10人が命を落とした。学校管理下で起きた事件としては最悪の大惨事だ。

上のVIPPERの記事のような経緯から、遺族が学校の責任を問うて、宮城県と石巻市を相手取り裁判が起こされ、原告ら遺族の勝訴が確定している。

実は、僕が学校に勤めていた時に、生徒に3.11について調べてもらい、その後、実際に震災跡地をまわる研修旅行を引率させてもらたったことがある。3.11を調べる中で大川小学校のことを調べた生徒もいた。調べたことの発表を一人一人やってもらったが、皆、よく調べてきていて関心させられた。また、それぞれが取り上げた事について、自分の考えを述べる生徒もいた。

研修旅行では、当時、震災遺構として整備が進められていた大川小学校も訪ねることができた。
そこにあるのは、廃墟となった小学校の校舎なのだけれど、その廃墟が圧倒的なまでのオーラを放っているのだ。こればかりは、写真や映像、言葉では分からない。その場に行って見なければ分からないものだ。とにかく圧倒され、かつて、そこに子供たちの声が響き渡る日常があったことに思いを馳せ、自然と胸の奥からこみ上げるものがあり、涙が溢れてくる。生徒たちも、みな、それぞれ思い思いの場所に移動しながら、場所場所で無言で佇み、その圧倒的なオーラに打ちのめされていた様子だった。

そのオーラの前では、自分が調べてきたことや、自分が、こうすれば良かったのではないか?と考えたことなど全て吹っ飛んでしまう。調べたことや考えた事がとても薄っぺらなものにさえ感じられる。もちろん調べ、考えた後だからこそ、この廃墟が発するオーラをより敏感に感じ取れるわけで、事前学習はとても大切だ。

研修旅行のまとめの会で生徒たちに僕は次のようなことを問うた。

みなさんが事前に調べて得た知識は研修旅行の前と後ではほとんど変わりはないと思います。でも、その知識は研修旅行の前と後で同じと言えますか?

生徒たちはみな、一様に全く違う!と答えてくれた。

僕が欲しかった回答だった。(^^)

そう、言葉で語れる範囲の知識としては変わりはなくても、本人の中では、オーラに打たれることにより、全く違ったものに変質するのだ。自分にできる何かをしなければ!という思いに突き動かされた生徒もいたようだ。

これこそが学びの本懐であり、魂が学ぶ最上級の学びだと僕は思っている。こういった学びは時として人を突き動かし、大きく人生に影響する学びだからだ。

大切な知識とは、何も本に書かれたことや論理的に説明できるものであるとは限らない。魂で学ぶ学びはそれを超越したところにある。言葉にはできないが、自分の中では明らかに分かっているものだ。それは、ふとした時に学ぶこともあれば、こういった何らかの機会によって学ぶこともある。そして、言葉だけで学べる知識には限界があることを肝に銘じておく必要がある。

だから最上級の学びがあることを意識しながら、日々、学ぶ必要があると僕は思っている。

YUICHI KOBAYASHI

YUICHI KOBAYASHI

ちょっとした意識の持ち方で自分の世界は大きく広がります。人生を豊かにする楽しい学びをしていきましょう!!

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