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“麒麟がくる”最終回

Feb 8, 2021 学びの種

何気に楽しみに毎週見ていた大河ドラマ「麒麟がくる」の最終回だった。
信長の人物像も今までにない斬新な描き方だったし、重要人物として架空の人物も多かったり、松永久秀の平蜘蛛も光秀の手に渡るしで、かなり自由に創作していたから、本能寺の変にどう持っていくのか楽しみに見ていた。

大河ドラマの中の光秀と家康は仲良しだったから、個人的には光秀=天海説を採用するのかと思って見ていたけど、信長の暴走を止めるために挙兵という、ある意味、王道的な終わり方だった。麒麟がくる世を江戸の太平として捉えれば、この説がドラマの中で採用される確率は高いと思ったんだけど、そうはならなかった。笑

本能寺の変は戦国最大のミステリー事件だから昔から色々な説がある。
上に書いた光秀=天海説は、家康の参謀的な役割を果たし、徳川幕府の基礎を築く上で活躍した天海僧正が実は明智光秀だったとされる説だ。この説は歴史学者のほとんどからは却下されてしまっているが、もちろん、こんな説が出てくるのには理由がある。興味がある人は是非、調べてみて欲しい。昔からあるオーソドックスな説としては、野望説、怨恨説、黒幕説があるが、どの説も、もっともらしい部分もあるが説得力には欠けるものが多いと思う。結局、大河ドラマで描いていたように信長の暴走を止めるために本能寺の変を起こしたってのが、一番、説得力があるのかもしれない。

なぜ、光秀が謀反をおこしたのかは未だにはっきりとは分かっていない。もしかしたら、大した理由はなく突発的に信長にブチ切れただけのことなのかもしれない。明智光秀だって人間なんだからその可能性がないとは言い切れない。でも、それを検証しようとすれば、光秀の性格や信長との関係性とか、当時の武士の感覚等の膨大な背景を調べる必要が出てくる。

結局のところ光秀本人にしか分からないことなのかもしれないが、それでも、この「なぜ?」を考えることは大切なことだと思う。「なぜ?」を考えることによって、当時の歴史についての知識が深まるからだ。そして当時の知識が深まったら、「他に方法はなかったのか?」とか、「自分だったらどうする?」を考えることが歴史を学ぶ時に必要なことなんじゃないかと思う。

学校の歴史の授業では一般的に正しいとされる史実を教えるだけで、「なぜ?」を考える作業をあまりさせない。もっとも、それを片っ端からやっていたら、とてもやり切れないという現状はあるのだけれど。

今の学校では昔に比べると近現代史の比重が大きくなっているみたいだけど、それでも、明治から昭和にかけての戦争に対して「なぜ、日本は戦争をしなければならなかったのか?」「なぜ、戦争を回避できなかったのか?」逆に「戦争を回避するためには、どうすればよかったのか?」を真剣に考えさせることをしないのではないだろうか。それを真剣に考えれば、対外的要因、国内要因、組織的要因と、いろいろな要因について学ぶ必要があり、そして多くを考えさせられるはずだ。

僕が戦国時代に初めて触れたのは、小学校低学年の時に読んだ豊臣秀吉の伝記だ。伝記と言っても絵本みたいなもので、当然、秀吉が主役だから、家康は悪者のイメージだし、光秀は馬鹿なイメージだった。もちろん高校生になる頃には、明智光秀というのは優秀な人だったということを知るようになる。それでも三日天下という言葉とともに光秀は愚かだったというイメージが付きまとった。

対米戦争についても「無謀な戦争に日本は突入していった」という言葉だけで歴史を習ってしまうと、そこには「馬鹿な軍が権力を握ってしまったから」というようなイメージがつきまとい、単純に軍国主義はいけない!というところで思考がストップしてしまう。実際に戦後教育を受けた僕らは、そんな感じだったような気がする。そして、それで自分は歴史の教訓を学んだ気になってしまう。
ところが、当時の軍ってのはとてつもなく優秀な頭脳の人たちの集まりだ。それが、なぜ、対米戦争に踏み切らなければならなかったのか、なぜ、回避できなかったのかを調べ、考えるということをしなければ、本当の歴史の教訓は得られないし、同じような危機に陥った時に同じ轍を踏むことになる。

歴史の多くは調べ考えても本能寺の変と一緒で答えは分からないことなのかもしれない。
でも、それを考えることが歴史を学ぶってことなんじゃないかと思う。

 

とりあえず次の大河ドラマは渋沢栄一らしいから、これまた楽しみだ。

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