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論理を超える「なんとなく」

Feb 6, 2021 学びの種

久しぶりの円安相場でドル円が少し上昇してきている。先ほど105.75をつけた。

相場分析を大雑把に分けると、各国の経済状況や金融政策、政治などを分析して相場予測するファンダメンタルズ分析と、過去の価格推移から相場予測を行うテクニカル分析に分かれる。多くのプレイヤーはファンダメンタルズに気を配りながらテクニカル分析がメインなんじゃないかと思う。

実は僕は102円台でガッツリとドル買いをした。しかし102円台当時、ファンダメンタルズ的にもテクニカル的にも積極的にドル買いをする要素はなかった。どちらかと言えば、まだ下がっていく要素の方が大きかったのではないかと思う。ではなぜ僕はドル買いをしたかというと、なんとなく「もうこれ以上、下がらねえんじゃねえかな~」と思ったからだ。

そう、「なんとなく」なのだ。

もちろん、この「なんとなく」は過去の経験からくるものであることは確かだ。世間の声だったりチャート上の値の動き方だったり、そんなものから「なんとなく」を感じ取っているからだ。でも、あくまでも「なんとなく」であって明確にその理由を説明することはできない。

そもそも相場の動きってのは、ファンダメンタルズやテクニカルといった論理を逸脱して動く。だから上がるか下がるかだけなのに難しい。しかもそこに参加すると、欲望と恐怖という2つの感情が絡み、さらに判断が難しくなる。

相場は論理を逸脱して動くにも関わらず、人は様々な手法を駆使して、それを分析する。分析するという行為は、そこから論理的に答えを導こうとする前段階の行為だ。もちろん、相場が全く論理に当てはまらないというわけではない。だからこそ世界中の人が分析を行うわけだし、逆になんの分析もせずに相場に飛び込むのは自殺行為だろう。

人という生き物は、とにかく論理を大切にする生き物だ。戦争をするにも大義名分がなければ出来ない。論理がなければ、ほとんどの場合、動けないのではないかとさえ思う。しかし、今回の僕のように論理に従わずに「なんとなく」つまり勘に従った方が正解であることもあるわけだ。

例えば、その時は論理的に正しいと思っても、なぜか心がそれを嫌がるなんてことがある。この場合、大抵が、後になってみると心の声に従った方が正解であることが多かったりする。

論理は大切だけれど、その論理にも得意な分野と不得意な分野がある。しかし、たとえ論理が不得意な分野であっても人は論理を偏重してしまう傾向がある。だから、自分にとって正しい判断を出来る限りしようとすれば、どのような分野や、どのような場合に論理が通用しにくいのかを予めよく考えておくことが重要だ。それが分かっていれば、判断の際、論理偏重にならないように意識することができる。

論理は大切だけれど、時として直観や感情が論理を上回る場面があるということだ。

これを考え、身をもって実感することは大きな学びであると思う。

YUICHI KOBAYASHI

YUICHI KOBAYASHI

ちょっとした意識の持ち方で自分の世界は大きく広がります。人生を豊かにする楽しい学びをしていきましょう!!

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