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Archive: 2021年1月29日

ストーヤ

ニューズウィークに人生相談のようなコーナーがある。
その相談内容がゴシップ誌なら分かるけど、ニューズウィークがなぜこんな内容を掲載しているのだろうか?と少し違和感をおぼえる内容が多かったりする。そして、その相談に答えるのは、専門の相談員だったり小説家だったりと、アメリカではその道の有名人だろう。その中にちょくちょく見かけるのが「ストーヤ(ポルノ女優)」という名前だ。なぜにポルノ女優?と思ったりもするわけだけど、大抵は相談内容に性的な内容が含まれるときに登場する。その回答もなかなかぶっ飛んでいて、例えば「アナルセックスはどう?バイブレーターは?」と、ニューズウィークとは思えないような単語が並んだりする。ところが、今回のニューズウィークでは性的な内容が含まれない相談に回答しており、しかも回答もいたって普通な内容だった。

普通の相談も担当するんだ・・・と思いながら、ふと、ストーヤ(ポルノ女優)とは何者なのかと気になり調べてみた。

ストーヤ(Stoya、1986年6月15日[1] – )は、アメリカ合衆国出身のポルノ女優。この国のポルノの世界にありながら、爆乳に爆尻などといった『人材の典型像』とは異質の、長身に華奢な洗練された身体像―いわばファッションモデルを想起させ得る異色の存在としての認知を有するポルノスターであり[3]、AVNアワードを始め数多の賞与を獲得してきた[4]。

とウィキペディアにはあり、さらにセルビア人とスコットランド人とプエルトリコ人の血を引いているとも書かれていた。画像検索すると、その容姿はアメリカ人と言うより、たしかにヨーロッパ風な感じがするから、なるほど!って感じだ。

調べていて目を引かれたのは、ストーヤがジョルジュ・バタイユに傾倒しており、その小説「眼球譚(がんきゅうたん)」を映画化したという話だった。

 

上のように、twitterでも眼球譚のことをツイートしていた。

ジョルジュ・バタイユってのは、フランスの哲学者であり思想家で、日本でもけっこう人気があって、ファンや研究者が多いんじゃないかと思う。ウィキペディアには以下のようにある。

ジョルジュ・アルベール・モリス・ヴィクトール・バタイユ(Georges Albert Maurice Victor Bataille、1897年9月10日 – 1962年7月8日)は、フランスの哲学者、思想家、作家。フリードリヒ・ニーチェから強い影響を受けた思想家であり、後のモーリス・ブランショ、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダなどに影響を及ぼし、ポスト構造主義に影響を与えた。

そしてこのバタイユの眼球譚という作品だが、ウィキペディアにも、そのあらすじが書かれている。読んでみると分かるが徹底した倒錯と背徳の異常な世界だ。この異常な世界はバタイユ自身が持っていた二面性から来ているものだろう。

ストーヤはこの倒錯と背徳の世界をポルノとして映画化しているわけだから、一部アップされているものを見ても、それなりにエログロだ。でも、少なくとも僕は見ても性的興奮は感じないし、芸術的要素が大きい作品のような気がする。
いちおうVIMEOにあったものを貼り付けておくが、こういった内容に抵抗のある人は見るのは止めておいた方がいいかもしれない。

the eye // tease from Four Chambers on Vimeo.

とにかく、このストーヤという人はポルノに思想と芸術を持ち込み、新たな模索を行っているように感じられる。ジャンルは何にせよ、新たな世界を模索する力というのは、すごいものがあると僕は思う。

 

眼球譚もバタイユの小説だが、純文学の世界は比較的、倒錯した世界を描いているものが多いような気がする。谷崎潤一郎の「痴人の愛」なんかは性的倒錯の要素が大きい作品だろう。

僕が勤めた学校では「痴人の愛」を一部のクラスで教材として使っていた。しかし、学校という環境では「痴人の愛」は純文学だから推奨するが「ゴールデンカムイ」は漫画だから排除するといったような風潮があった。そして、そんなことを主張する人たちは案外「痴人の愛」も「ゴールデンカムイ」も読んだことがなかったりする。おそらく、このストーヤとその背後にあるジョルジュ・バタイユの思想や哲学について、いくら話しても彼らの頭の中では「ポルノ」の3文字で全てが終わってしまうだろう。そして彼らは「常識的には・・・」「一般的には・・・」という言葉が大好きだ。常にこの言葉を使って物事を進めていく。

常識は人それぞれ違ってくるし、時代が変われば全く違ったものになる。だから「常識的には・・・」「一般的には・・・」という言葉を頻繁に使う時点で、前進が止まり、自分の小さな世界観から抜けられなくなっているということだと僕は思う。

 

ちょっと話がそれてしまったが、今日はストーヤという人について学べて良かったと思う。
やはり、何事も調べてみれば大きな広がりを持つということだ。

ライブ・チャット機能を搭載してみた

ライブ・チャット機能を搭載してみた。
応対出来ない時もオフラインメッセージを残してもらえるから、あとでメールでの返信が可能だ。個人的には、以前、海外のサイトを利用した時にライブ・チャットでよくお世話になって心強かったから機能としてあればいいかなと、ふと搭載をしてみたわけだ。SHIN MICのメンバーにとってもライブ・チャットなら気軽に質問しやすいから、安心感につながるのではないかと思う。

ライブ・チャットも基本的な運用時間だとか、対応する人とかを決めないといけないと思うが、もう少しサイト全体の運用が定まってこないと、そこも決めるのは難しい。2月中に、なんとか全体の運用を定めて、3月頭に予定通りプレオープンにこぎつけたいものだ。

ライブ・チャットの搭載を思い立って始める中で、途中、チャットボットを搭載してみたい誘惑にかられた。少し、他のサイトに搭載されているものを触ってみたが、やはり相当、学習させないと使い物になりそうな感じがしない。でも、いずれはチャットボットの搭載をしてみたいな~。(^^;

チャットボットを調べると、当然他のAIも目にすることになる。このサイトはWordPressを使っているが、調べてみるとWordPressで使用できるAIを使ったプラグインが、既にけっこう出ている。なんか、すごい勢いで時代が進んでいることを感じる。もう数年したらWordPressのプラグインもAIを利用したものだらけになるのかもしれない。今日はライブ・チャットを搭載しようと思いたったおかげで、WordPressとAIって観点で勉強になったかな。

やはり何かをやる中で調べることって勉強になって楽しい。

「不可能を可能にする思考方法」完成

ようやく2つ目のコース「不可能を可能にする思考方法」が出来上がった。
実際にコース作成を行ってみると、想像以上に労力と時間がかかることが分かる。おそらくSHIN MICにインストラクターとして参加してくれた他の方々も苦労されていることだろう。でも個人的には他の方のコースを見るのが楽しみで仕方がない。

1つ目のコース「地域から自分の世界をアップデート」は自分の世界を広げてもらうために必要な意識や考え方を中心に書かせてもらった。そしてこの2つ目のコース「不可能を可能にする思考方法」は最初から出来ないとあきらめてしまうのではなく、考え方さえ変えれば問題解決できるということを中心に書かせてもらった。一見、素人には解くのは無理だと思えるGoogleの看板の問題を、しっかり考えて調べていけば素人でも解けてしまうことを実際に体験してもらうことによって、その思考方法の有効性を体感してもらうということを意識した内容になっている。

この2つ目のコースは実際に高校で生徒に考えさせて、解かせてみたかった内容だ。
しかし高校の授業の中では、なかなかその時間を取ることができなかった。僕が受け持った授業は国際バカロレアのコア科目であるTOK(知の理論)という科目で、毎時間、授業内容は自分の手作りで内容に関してはかなり自由度の高いものであった。それでも生徒に課されたエッセイやプレゼンテーションを指導する時間や、それまでに教えておかないといけない内容を消化しようとすると、とても時間を取ることができなかった。しかし、この「不可能を可能にする思考方法」は僕が生徒に最も体感してもらいたかったことの1つだ。

教育は教え育てる(育む)と書くが、個人的には今の学校環境では「育てる」という部分を十分に行うことは難しいと感じている。自由度の高い授業の中でさえ、僕がいちばん生徒に伝えたかったことを伝える時間も取れなかったからだ。1つ目のコース「地域から自分の世界をアップデート」も2つ目のコース「不可能を可能にする思考方法」もそういったものを詰め込んでいる。今後作成するコースにも、そんなものを詰め込んでいきたい。その内容は人生を豊かにする学びに繋がっていくものだと僕は信じている。